儒教の華夷秩序
ご存じの通り、中国は儒教国です。儒教においては中華(中国)が、皇帝をいただき、周りの国々(夷狄)の王を家来として従えます。これが華夷秩序です。
中華たる中国のみが文明をもち、ほかの周りの野蛮な国々である夷狄を支配下に置く、それが中国の描く理想です。
しかし、実際には西洋諸国は中国の支配のはるか圏外でしたし、歴史的にも中国自体が異民族に攻め込まれ、支配されてしまうこともたくさんありました。それでも中国は、現実から目をそらし、自分たちが世界の中心であると信じ続けてきたのです。
これは今でも変わっていません。
儒教における家族の秩序
また儒教で最高の道徳は孝です。親孝行の孝ですね。日本では主君への忠誠を示す忠が孝の上であるかのように語られますが、これは江戸幕府が儒教を取り入れるときに行った改ざんの結果です。
忠より孝のほうが高いということはどういうことでしょうか。
中国では戦争中の司令官が「お父さんがなくなりました」という知らせを聞いた時、指揮中の部隊をほったらかして、父親のもとにはせ参じなければならないのです。
また、主君があまりにも不条理なことを言ったときは逃亡してよいが、父親が不条理なことを言ったときは、嘆きつつも、これに従わなければならないとされています。
父親が死ねといったら、嘆きつつも、死ななければならないわけです。
国家の家族擬制
よく中国人が自分たちを父、韓国を兄、日本を弟に例えるのを聞いたことがあると思います。
日本人は「気持ち悪いたとえだな~」ぐらいに思っているかもしれませんが、彼らは実は本気でそう思っています。
日本は儒教国?
さらに厄介なことに、中国人は日本を儒教国だと思っています。
なんだそりゃ?日本が儒教国だったことなんて一度もないだろ?とお思いかもしれません。
しかし日本は中国人が儒教国であると誤解する、もしくは少なくとも中国・朝鮮とともに儒教ファミリーの一員であると思われる言動を繰り返してきました。
古代・中世においては中国の王朝は東アジアの超大国でした。これと外交関係を結ぶために、日本は中国の各王朝の皇帝に対し、儒教の流儀にのっとった礼を尽くしてきました。
このため、2000年余りの間、中国は日本を儒教ファミリーであると誤解したまま現在に至っているわけです。
弟は命に代えても、父や兄を助けなければならない
ですから、中国は、歴史的に日本を儒教のファミリーとしてとらえ、自分たちを父、朝鮮を兄、日本を弟だと思ってきたというわけです。
儒教の孝の思想においては、父が困っているときは子供たちはどんなことをしても父を助けなければなりません。
父が経済的に困窮しているときは、自分自身が全財産を失っても、父に財産を差し出さなくてはなりません。父が命の危機にある時は、自分の命を差し出して父を助けなければなりません。
つまり子供である日本は、中国が困っているときは、自らが滅亡しても、経済的に破綻しても、父である中国を援助しなければならないのです。
子が父に逆らうのは最大の罪
さらに儒教最大の罪は親不孝です。有名なのは親より先に死ぬことですが、それ以外にも父が困っているのに助けないこと、父の命令に逆らうこともこれに含まれます。
もうお分かりですね。第2次世界大戦で、日本が中国に進出し、満州国を作り、中国本土の各地に侵攻したこと、これは子供が親に歯向かう滞在であると中国人はとらえています。
さらには戦後、日本が大発展を遂げ、中国が経済的に困窮していた時期が90年代あたりまで続きました。
この状況では、儒教の感覚だと、子供である日本は自らの全財産を差し出してでも中国を援助しなければなりません。それが孝の思想なのです。
謝罪は上下関係の確認
さらに儒教は人間的な上下関係を重視します。重視するというよりは、上下関係しかないといったほうがいいでしょう。儒教では対等な人間関係は存在せず、相手が自分よりも上か、下かしかないのです。
上位の人間は階の人間に一方的に命令し、下位の人間はそれがどんな不条理でも、基本的には従わなくてはなりません。
その上下関係を確認する代表的な手段が、謝罪です。
儒教において、謝罪するのは下位の人間だけです。上位の人間はたとえ間違ったことを言ったとしても、下位の人間はそのまま実行しなくてはなりませんから、謝罪をする必要はないのです。
度重なる謝罪と賠償の要求
これが、中国が日本に対して謝罪と賠償を繰り返す真の理由です。
何度も謝罪させることによって、中国が日本よりも上位の国であることを確認しているわけです。
また下位の子供である日本は、上位の親である中国に、自分がどうなったとしても援助を続けなければなりません。
中国が望む限り、何度でも、どんなに不条理な理由であろうと、財産を献上しなければならない、中国はそう考えているのです。
この辺の詳しい経緯については、拙著