笹原シュン☆これ今、旬!!

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時事速報9 中国大洪水。世界最大の三峡ダム決壊か!?中国共産党にとって、ダムとは何か。

中国共産党にとってのダムとは?

→前回の続き

 

 中国で豪雨のたびごとに毎年洪水が発生している原因は、中国共産党によるダムの位置づけとそれによる運用方法の問題にあります。

 

 これは中国以外の国のダムの運用法と比較してみるとよくわかります。例えば日本におけるダムの役割は、

 

1.治水。洪水防止及び水不足解消。

2.水力発電による電力の確保。

3.公共事業としての財政出動先。

 

の順です。これに対して、中国におけるダムの役割は、

 

1.中国共産党の権威を示すモニュメント。

2.水力発電による電力の確保。

3.治水。洪水防止及び水不足解消。

 

の順になっています。大した違いはないだろって?注目していただきたいのは、治水と電力確保の順番です。日本では治水のほうが電力確保よりも優先されていますが、中国では逆です。

 

些細なことのようですが、この順番の違いが、実際のダムの運用においては大きな違いとなってくるのです。

 

日本におけるダムの役割

 日本において、治水のほうが電力確保よりも優先されているという事実は、水力発電の発電量を見ることによってわかります。

 

 日本の3000を超えるダムの潜在合計発電量は年間1800億kwhを超えています。しかし現実の発電量を見ると毎年600~700kwhしか発電されていません。

 

 1800憶kwhの発電能力があるにもかかわらず、その3分の1程度しか現実に発電がなされていない。これはなぜでしょうか?

 

 水力発電はダムにためた水でタービンを回して発電しています。この発電のために放水する取水口は大体ダムの半分よりちょっと下のあたりについています。

 

 あとで述べるダムを保護するための緊急放水の放水口とは完全に別の場所についているのでご注意ください。例えば三峡ダムでは水力発電の取水口は両翼に配置されていますが、水力発電の取水口は中央にありますね。

 

 水力発電の際にはダムの水位は取水口より上で、なおかつ満水の8割程度の範囲になければなりません。水位が取水口より下になってしまうともちろん放水できませんのでタービンは回せませんし、水位が上過ぎても水圧が高すぎて危険なので発電用のタービンは回せなくなるわけです。

 

 日本ではダムは大きいものは国土交通省が管理し、小さなものは各地方自治体が管理しています。そして下流の川の流量が大体一定になるように貯水と放水を調整します。

 

 水不足で川の流量が不足してくると放水してダムの水位が下がり、タービンが回せなくなります。洪水の恐れがあるときはダムにぎりぎりいっぱいまで貯水して、下流の川の水量を押さえますのでやはりタービンは回せません。

 

 日本のダムはこの水量調整をこまめにやって、ダムの水量を調整し、下流の川の流量を一定にすることを優先し、水力発電は2の次なので、潜在発電量の3分の1しか発電していないというわけです。

 

 日本にはほかに数多くの火力発電所やいくつかの稼働中の原子力発電所がありますので、水力発電は、少なくてもあまり影響はないわけです。それよりは、いざという時の洪水の防止と、旱魃時の水資源確保を優先してダムが作られているというわけです。

 

日本における洪水時のダムの役割

 昨年2019年10月12日、令和元年東日本台風(台風19号)が、関東地方に上陸しました。

 

 あの時は試験運用が開始されたばかりの八ッ場(やんば)ダムをはじめとする、関東地方の多くのダムの活躍によって、東京における大洪水が回避されたのをご記憶の方も多いと思います。

 

 巨大台風接近の報を受けて、関東地方のダムは早くも1週間前から、大放水を開始しました。台風が来る前に、ダムの貯水量をほぼカラにしておこうという作戦です。

 

 台風が上陸し、日本全体を豪雨が襲い、川やダムの水位はみるみる上昇していきました。しかし、事前に放水していたダムや、「地下神殿」と呼ばれた東京外環放水路の活躍もあって、東京のおもな河川の氾濫はついに起きませんでした。

 

 一部のダムでは決壊を防止するため緊急放水が行われましたが、これは事前に通告され、放水量もしっかり計算されていたため、結局この放水によって堤防の決壊が起きることはありませんでした。

 

 もっとも民主党政権時の事業仕分けで堤防工事が中止にされてしまった個所や、住民の反対運動で堤防工事が行われなかった地域で、小規模な河川の氾濫はありましたが・・・。

 

 またこの台風における河川の氾濫の被害は長野県に集中していました。長野県では田中康夫知事の時代に「脱ダム」宣言のもと、予定されていた多くのダム、堤防工事が中止に追い込まれていました。

 

 その結果、この台風の豪雨に耐えられず、多くの河川が氾濫して洪水が発生してしまいました。ダムや堤防がいかに洪水を防ぐために重要な役割を果たしているかがよくわかると思います。

 

中国におけるダムの役割

 これに対して、中国では、ダムの建設は中国共産党の威信を示すための国家事業として行われ、できたダムは国営企業が運営し、水力発電で得られた電力は、一部を国内で用いた残りを海外に輸出し、外貨を獲得しています。

 

 ダム建設の件はのちに述べるとして、ここでは中国において完成したダムは国営企業による営利事業のための資産であり、治水は2の次であるということに注意してください。

 

 実際に三峡ダムは潜在発電量1000億kwhに対して920kwh、他の90000余りあるダムも軒並み潜在発電量の9割以上の発電量を維持しています。

 

 これによって中国におけるダムの運用は、日本とは正反対になってしまいます。

 

 中国におけるダムの運営会社は、ダムのタービンを回すことを最優先に運営します。これはダムの水位を常に中位に保たなければならないことを意味します。

 

 例えば雨量が不足し、水不足になったとしましょう。日本であれば、ダムの水を放水し、水不足解消に動くでしょう。

 

 しかし中国では、水不足でダムの水量が減ったときは、放水を極限まで絞り、ダムの水量を確保するように動きます。もちろん水力発電のタービンを回すためです。

 

 このため、下流の川は干上がってしまい、下流域が干ばつに陥ってしまうというわけです。ダムがなければ水不足で済んでいたのに、ダムがあるがゆえに旱魃が発生してしまうわけです。

 

 実際に三峡ダムの下流にある、洞庭湖とばん(おおざとに番)陽͡湖という2つの湖はダムができたおかげでほとんど干上がってしまいました。洞庭湖は李白や杜甫の詩にも登場した中国屈指の観光名所だったのですが、今は見る影もありません。

 

 では大雨が降り続き、ダムの水位が上がったときはどうするのでしょうか。日本では、事前に放水してダムをカラにしておき、ぎりぎりまでダムの貯水量を増やして下流の洪水の防止に動きます。

 

 しかし中国では、ダムの水位が7割を超えたあたりで、下流の住民に無断で大規模な放水を開始し、ダムの水量を下げに行きます。もちろんタービンを回し続けるためです。

 

 この放水によって、下流の地域に大規模な洪水が発生します。ダムがなければ豪雨による川の増水で済むところが、ダムがあるがゆえに、洪水になってしまうというわけです。まさに本末転倒ですね。

 

三峡ダム建設の経緯

 では、中国においてダムが治水の役に立っていないとすれば、そもそもダムは何の目的で建設されているのでしょうか。

 

 これは三峡ダム建設の経緯を見るとよくわかります。

 

 三峡ダムの構想自体は1910年代にすでに始まっています。中華人民共和国以前の中華民国時代に、建国者の孫文が1919年に発刊した著書『建国方策』の中で、三峡ダム構想について述べています。

 

 中華人民共和国建国後も1950年代に早くも三峡ダム構想が復活し、一時期は1963年からの着工が決定されたこともあります。

 

 しかしその後の国内の混乱や、文化大革命のどさくさの中でこの計画は長期間実行されず、棚上げ状態になっていました。

 

 この建設計画が、ついに日の目を見たきっかけは、1989年に起きた天安門事件でした。

 

 この事件によって、中国は世界各国から非難を浴び、鄧小平が失脚し、各国から経済制裁を受けました。

 

 これ以降、鄧小平の跡を継いだ江沢民は首相の李鵬とともに、三峡ダム建設計画を強力に推進していきます。

 

 1992年の第7期全人代において、三峡ダム建設計画は賛成1767、反対177で採択されます。ほぼすべての議案が全会一致で可決される全人代において、177人の反対者が出るというのは異例のことです。

 

 建設計画はすぐに実行に移され、翌93年には準備工事、94年には本工事が始められ、2003年には早くも一部貯水と発電が開始されました。結局すべての工事が終了したのは2009年のことです。

 

 これだけの大工事が10年余りで終わってしまうというのは異例の速さです。

 

三峡ダムは中国共産党の一大モニュメント

 長らく棚上げされていた三峡ダム建設計画が、天安門事件をきっかけに一気に加速し、実現していったことがわかると思います。

 

 当時の中国共産党は、天安門事件の責任を問われ、各国から経済制裁を受け、自国民からも突き上げを食らっていました。これは中国共産党の権威が大きく低下していたことを意味します。

 

 ここで共産党の威信を回復させ、その力を国内外に誇示する一大モニュメントとして、三峡ダムの建設が行われたというわけです。

 

 世界最大のダムを作り上げ、古来から水害をもたらし続けていた長江に手を加え、自らの支配下に置いた、と国内外に喧伝することによって、低下していた中国共産党の権威を回復させ、その力を内外に誇示しました。

 

 三峡ダムは、古代エジプト王朝におけるピラミッドのようなものだったわけです。

 

失われたダムの強度

 

 いわば中国共産党の見栄のために三峡ダム建設計画は強行に採決され、あっという間に着工され、突貫工事で完成されました。

 

 とにかく一刻も早く、モニュメントを打ち立てたかったからなのですが、この強引な工事のため、多くのものが失われました。

 

 周辺の村落がダム湖の下に沈み、カワイルカは絶滅し、ダム湖からの大量の水の蒸発によって豪雨が頻発し、ダム湖にたまった莫大な水の重さで地盤が変形して地震が頻発するようになりました。

 

 そしてこの突貫工事の過程で失われた最大のものは、建設において最も重要視されるべき「ダムの強度」です。三峡ダムは工事費着服と手抜き工事のため、いつ崩壊してもおかしくない構造になってしまっているのです。

 

変形している三峡ダム

 ネット上には変形している三峡ダムを撮影したグーグルアースの写真が出回っています。

 

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変形した三峡ダム

 左が2009年の三峡ダムの写真で、右が2018年の写真です。

 

 これを見ると確かに変形しているようですが、中国共産党はこれは衛星写真のつなぎ目のゆがみであって、ダムの変形ではないと主張しています。

 

 もしも本当に衛星写真のつなぎ目のゆがみならば、2009年の写真の方も歪んでいなければならないはずですが・・・。

 

 ここで中国共産党が変形ではないと強弁するのは、自らの権威の象徴である三峡ダムに文句をつけられて、自らの権威が貶められたように感じているからでしょう。

 

「せっかくダムによって共産党の権威を示したのにそれにケチをつけるな」ということです。

 

 共産党の見栄に付き合うために、中国人民は多大な犠牲を強いられているということです。

 

現在の洪水の状況

 2020年6月上旬から降り続いた豪雨は、まずは三峡ダムの上流にある多数のダムの水位を上昇させました。

 

 これらのダムは当初から盛んに放水を始めていました。最初はいつもどおりタービンを回す水位を確保するためだったのですが、今回の豪雨は桁が違っていました。

 

 見る見るうちに上昇する水位で、ダム自体がきしみ始め、全力で放水するも間に合わず、次々と小さなダムが決壊していきました。

 

 これによって、三峡ダムの上流にある重慶が大洪水になり、水は一気に三峡ダムのダム湖に注ぎ込みます。

 

 見る見るうちに水位が上がり、ダムがゆがみ始めたのを見て、三峡ダムは決壊を免れるために全力の放水を開始しました。これによってダムの直下にある宜昌市が大洪水となり、洪水はさらに下流に広がっていきます。

 

 まもなく洪水は武漢周辺に到達するでしょう。そこでダムが持ちこたえれば何とかなるかもしれませんが、果たして三峡ダムは持ちこたえることができるでしょうか?

 

 中国共産党はダムからの利益を確保するため、旱魃を引き起こし、洪水を誘発させ、自らの見栄のために、脆弱な構造のダムを建設し、中国人民はダムの決壊におびえています。

 

 近い将来、共産党はその代償を払うことになるでしょう。