中国共産党にとっての香港の意味
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1997年の返還以来、香港は中国にとって特別な意味を持っていました。ここは中国であって中国でない、特殊な地域だったわけです。
かつての香港には、一国二制度の名のもとに、中国本土の社会主義経済が適用されず、「自由放任主義」ともいわれる徹底した資本主義経済が発達していました。それは西欧資本主義諸国よりもさらに自由な資本主義経済だったのです。
香港への企業進出のメリット
この香港には、多数の海外企業が進出していました。進出した企業には多数のメリットがあります。
まずは法人税が安い、かつ税制がシンプルです。税金は法人税のみで、一律16.5%。これはアジアで最も低い税率です。さらにはほかの国では避けて通れない、住民税、事業税、地方税、消費税などが一切存在しません。相続税や贈与税、キャピタルゲイン課税もありません。株式売却益はすべて自分のものです。
またオフショア所得非課税制度が存在します。これは香港企業が香港外の取引で得た所得が非課税になる制度です。ようするに、香港に支店を出して、中国本土と商売すれば、その所得はすべて非課税となるのです。
さらに香港は中国本土とCEPA(経済貿易緊密化協定)を結んでおり、中国本土との取引において様々な優遇制度があります。
すぐそばには15億人の人口を誇る中国市場が控えています。
例えば日本から中国に商品を輸出すると、様々な税金を取られ、面倒な各種手続きをし、中国国内で他企業との販売競争にさらされるわけですが、香港に支店を作り、そこから中国本土に売れば、手続きなし、税金なし、優遇販売制あり、しかも近い、といいことづくめなのです。
しかも中国本土に直接企業進出すると、いつ何時中国共産党の気まぐれで、操業停止を命じられ、資産没収されるかわかりません。香港に会社を作れば、その心配なく、無税で完全フリーの商売ができるというわけです。
また香港特有の「シェルフカンパニー」制度が存在します。これはすでに現地で登録済みの新規企業を買い取り、香港に企業進出するシステムです。これをもちいれば、申請後1週間で、香港に自分の会社が誕生します。
アメリカの「ウォールストリートジャーナル」が毎年発表している「国別経済自由度数」で、2019年まで香港は25年連続1位を獲得していました。中国にありながら、世界中のすべての自由主義国を抑え、最も高い自由度を保持していたわけです、。
金融センターとしての香港
昨年までの香港は、ロンドン、ニューヨークと並ぶ、世界3大金融センターの一角を占めていました。
香港には世界中の資本家が資金を投下し、株や国債、各種債権や為替の取引が行われていたのです。HSBC(香港上海銀行:イギリス企業です)を筆頭に、世界中の金融機関の支店が置かれ、2019年には香港市場の取引額は世界3位でした。
中国政府は香港市場を通じて外貨を調達し、中国企業は、ドル建てやユーロ建ての株や社債を香港市場で売り出すことで、貿易に必要なドルやユーロを調達していたわけです。
香港を所持することによる中国のメリット
この香港を、一国二制度を維持したまま保持し続けることで、中国は大きな恩恵を得ていました。
まずは莫大な経済的利益です。香港は実質無税なので税収は期待できませんが、それを補って余りある貿易による利益があります。香港経由で西欧諸国の物品が輸入され、中国国内の生産品が輸出されていきます。
それに加えて、世界中の資本が香港経由で中国国内に流入し、外貨を獲得することができました。
中国のほかの都市でこれをやってしまうと、社会主義経済のドグマに反し、共産党の権威に傷がつきます。しかし、香港でやれば、イギリスからの返還の経緯でしょうがなかったと言い訳しつつ、自由貿易の利益を得ることだけができるわけです。
中国にとっての香港は、ちょうど江戸幕府にとっての対馬藩や琉球王国に相当していたといえるでしょう。江戸幕府は、鎖国という建前を守りつつ、対馬藩の宗氏を通じてひそかに朝鮮と貿易し、傀儡王朝をたてた琉球王国を通じてひそかに南蛮諸国と貿易し、利益だけをピンハネすることができていたわけです。
江沢民や胡錦涛はこの香港の特性をよく理解し、うまく活用して利益を上げていました。まぁ、江沢民は本当にわかっていたのか疑問な点もありますが、胡錦涛は完全に理解して、香港を中国経済発展の起爆剤として使っていました。
そして胡錦涛の時代に、中国のGDPは、我が国を抜いて世界2位となったわけです。
さらに香港は、世界各国からの人権問題についての非難をそらす、ショールームとしての役割も担っていました。
ウィグルやチベットにおける弾圧を情報統制をおこなって、世界の人々の目から隠し、香港の人々の西側諸国を超えるレベルの自由を謳歌する姿を世界中に配信すれば、中国共産党の悪事から世界中の人々の目をそらすことができたというわけです。
国家安全法によって、香港の利点が消滅する
香港国家安全法は、これらの香港の利点をすべて消滅させる悪法です。
そもそも中国共産党の判断で、自由に市民を中国に連行して投獄できる状況で、だれが香港で、商売したいと思うでしょうか。また今回の法律は、香港在住の市民だけでなく、香港に滞在する外国人にも適用されます。外資系の会社の社員の外国人であっても、中国に連行されて投獄される危険があるわけです。
おそらく、香港に進出している外国企業は、一斉に社員を引き揚げさせるでしょう。
さらに、香港に課された優遇税制も中国並みに戻されるのは時間の問題です。そうすれば、わざわざ香港に会社の支店を出して、中国と取引するメリットは何もなくなるわけです。
また香港の金融センターとしての地位も地に落ちるでしょう。投資した株や債券が、いつ中国政府に差し押さえられるかわからない状態では、怖くて投資なんかできません。
実際、昨年3位だった香港における証券取引高は、今年に入って一気に6位まで落ちています。
もはや香港は、外国人にとって何のメリットもない、ただの中国の一都市となったわけです。
これは同時に中国共産党にとっては、香港経由の貿易や、外国からの投資、外貨の流入を失ってしまうことを意味します。この時期に、外貨が入らなくなったら、外国債券の利子を払えるのでしょうか?
さらに連日ネットには、香港の市民が逮捕され、中国当局に連行されていく映像が出回っています。これを見た世界中の国々は、中国政府に対する非難の声を強めています。
人権問題の非難から目をそらすショールームだった香港が、まさに人権侵害の瞬間を世界に配信するショールームと化してしまったわけです。
習近平は香港を失う意味を分かっているのか?
どう考えても、香港国家安全法は、中国共産党にとって不利益にしかなりません。
このことを習近平はちゃんとわかってやっているのでしょうか?
習近平は、薄熙来などの経済政策にたけた共産党の高官を片っ端から粛清してしまっています。その後の政策は、経済音痴の面が多分に見られますので、まったくわからずにやった可能性も否定できません。
つまり、昨年までの香港の経済的繁栄を目にして、それをそっくりそのまま自分のものにするために、国家安全法を制定したという可能性です。
もしも国家安全法制定後の香港は、それ以前の経済的繁栄がすべて失われてしまうということを、わからずに、これを制定したのだとすると、習近平は政治・経済が全く分からずに愚かな政策を行ってしまったことになります。
わかっていてもやらなくてはならない理由
しかし、香港の経済的繁栄が失われてしまうことが分かっていながら、それでもやったという可能性ももちろんあります。
わかってたらやるわけないじゃん、自分が損するだけなのに、そうだとしたら単なるバカだろ、と思われる方も多いでしょう。しかしそれでもなおかつ、やらなければならない状況に陥ることは考えられます。
それは、習近平の政権自体が窮地に追い込まれているときです。
胡錦涛時代のように、中国経済が右肩上がりで、中国人民が経済的に余裕があるときには、人々は共産主義及び中華思想のドグマに反した例外を許容する精神的余裕があります。
共産党の内部でも、香港は明らかに共産主義のドグマに反していますが、国家の発展に役立つからまあいいか、ということで、例外を許容できる余裕があるのです。
しかし、経済的、政治的に余裕がなくなってくると、例外を認めることができず、原理主義的になっていきます。
中国人民は、コロナや、災害、世界中の国々からの経済制裁で、収入が大幅に減り、生きていくのがやっとの状態になっていきます。
そうなると、「俺たちが死にそうな目にあっているのに、どうして香港だけが繁栄と自由を謳歌しているんだ。」という考え方が優勢となっていきます。
そして「例外を認めるな、香港の奴らも俺たちと同じ苦しみを負え」となり、香港への規制を求める声が大きくなっていくわけです。
共産党の内部でも、中国人民や世界各国からの非難の声が大きくなると、「例外を認めるな、共産主義の理想を国家全体で追及せよ」という声が大きくなります。
さらには人民解放軍の動向もあります。中国国内では報道されていない暴動が日常的に起きており、それを人民解放軍が鎮圧する事態が繰り返されています。
その状態で、香港で民主化の暴動が起きた時、人民解放軍の内部で、「なんですぐに鎮圧しないんだ、香港だけ特別扱いを認めるな」という声が上がります。
共産党の支配力が大きいときは、これらの要求をすべて封じ込めることができます。
しかし影響力が低下していくと、人民の声や、共産党内部の保守派の声、特に人民解放軍からの要求を無視できなくなってきます。彼らの指示、特に人民解放軍の指示がないと、政権を維持できなくなってくるからです。
中国共産党の支配の終わりが始まる
今回の香港国家安全法の強硬制定は、まさに中国共産党、および習近平の支配の力が弱まってきたことを意味します。
胡錦涛時代ならば簡単に封じ込めることができた要求を、もはや封じ込めることができず、香港の利益を失うという自殺行為を行ってでも、要求を実行せざるを得なくなったということです。
これはまさに、中国共産党の中国国内における支配力が、どうにもならないほどに低下してきたことを意味します。
中国共産党支配の終焉が、迫っているのです。