笹原シュン☆これ今、旬!!

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二次大戦の真実7 日本は第二次世界大戦に勝利していた!? 大東亜戦争の帰趨とその後③ 大東亜会議の歴史的意義。

大東亜会議の開催

 大東亜戦争も中盤に差し掛かった、1943年11月5-6日、東京にて、大東亜会議が開催されました。

 

 参加国及び出席者は以下の通りです。写真左から

 

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大東亜会議

 ビルマ国  バー・モウ (首相)
 満州国   張景恵   (首相) 
 中華民国  汪兆銘   (行政院長)
 日本    東條英機  (首相)
 タイ王国  ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)
 フィリピン共和国  ホセ・ラウレル (大統領) 
 インド   チャンドラ・ボース   (自由インド仮政府首班)

 

参加国の特徴

 
 これら参加国に共通の特徴は、アジアにおいて、主に日本の力で、欧米の植民地から脱した、もしくは脱する予定の、独立国であるということです。

 

 この中で日本及びタイは最初から欧米の植民地になっていません。タイ王国は、欧米各国の植民地の間の緩衝地帯として、植民地化を免れました。

 

 大東亜戦争開戦後、タイ王国は1941年12月21日に、日泰攻守同盟条約を締結し、翌42年1月25日、アメリカ・イギリスに宣戦布告しています。日本から見ると、タイはともにアメリカと戦う頼もしい同盟国だったわけです。

 

 満州国と中華民国は、すでに述べたように真珠湾攻撃以前に日本が解放した独立国です。この時までに日本は、大東亜共栄圏の範囲を中国にまで広げ、満州事変以降をすべて大東亜戦争とするという閣議決定を行っています。

 

 ビルマとフィリピンは、大東亜戦争開始後に日本がそれぞれの宗主国であったイギリスとアメリカを追い出し、直接統治を経て、独立させた国家です。

 

 ビルマは1942年8月1日、フィリピンは同年10月14日にそれぞれ独立しています。

 

 インドはこの時点でまだイギリスの植民地でしたが、チャンドラ・ボースが日本に亡命し、当時日本領のシンガポールで、自由インド仮政府を樹立していました。

 

 自由インド仮政府は、将来のインド独立を目指し、アンダマン諸島とニコバル諸島を統治していました。

 

 日本はインドを大東亜共栄圏に組み込まない意志を示していましたので、チャンドラ・ボースは、オブザーバーとして、この会議に出席しています。

 

 マレーシアやインドネシアはどうしたの?ということですが、これらの地域および、朝鮮、台湾、その他太平洋諸国はこの時点では「日本」に含まれています。

 

 今後次々と独立させて、ともに大東亜共栄圏のメンバーとして共存・共栄を図る予定でしたが、この時点ではまだ独立していないということです。

 

 というわけで、この会議は、日本が提唱する大東亜共栄圏の全地域そろい踏みの会議であるというわけです。

 

 インドネシアに関しては、日本は数年後の独立に向けて準備を進めていましたので、大東亜会議には出席していませんが、会議の翌日、スカルノとハッタが来日し、皇居に招かれて昭和天皇と会見しています。

 

大東亜共同宣言の内容

 この会議では各国の代表が発言した後、会議が行われ、最後に大東亜共同宣言が全会一致で採択されました。その内容は、次のようなものです。

そもそも世界各国がそれぞれその所を得、互いに頼り合い助け合ってすべての国家がともに栄える喜びをともにすることは、世界平和確立の根本である。
しかし米英は、自国の繁栄のためには、他の国や民族を抑圧し、特に大東亜(東アジア)に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、大東亜を隷属化する野望をむきだしにし、ついには大東亜の安定を根底から覆(くつがえ)そうとした。大東亜戦争の原因はここにある。

大東亜の各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、大東亜諸国を米英の手かせ足かせから解放し、その自存自衞を確保し、次の綱領にもとづいて大東亜を建設し、これによって世界の平和の確立に寄与することを期待する。

1.大東亜各国は、協同して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設する。
2.大東亜各国は、相互に自主独立を尊重し、互いに仲よく助け合って、大東亜の親睦を確立する。
3.大東亜各国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の文化を高る。
4.大東亜各国は、互恵のもとに緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進する。
5.大東亜各国は、すべての国との交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、すすんで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献する。

 

 今読んでも素晴らしい内容ですね。

 

 日本人はこの宣言を読んで、「なんだ、当然のことを言ってるな」と思う方が多いと思います。しかしこれはそれまでの国際会議の常識を覆す画期的な宣言なのです。

 

 というよりも、それまでの国際会議の常識が、日本人の感覚からかけ離れたものであったといったほうがいいかもしれません。

 

国際会議の常識とは

 世界初の国際会議は、1648年に行われた、30年戦争の講和会議であるウェストファリア会議であるといわれています。

 

 それ以来、国際会議というのは、基本的に、各国間のだましあいです。

 

 欧米諸国は基本的には上下関係しか理解できません。どの国が、どの国を支配して、言うことを利かせ、搾取するかという発想です。

 

 そして欧米諸国同士の関係は、「パワーバランス」です。

 これはようするに、こっちが戦いを仕掛けても向こうは反撃してくる、おそらくどちらも相手を倒しきれないので、大きく消耗するだろう、だったらまだ攻め込まないほうがいいな、と言って、にらみ合いを続けるという発想です。

 

 逆に言うと、パワーバランスが崩れた時、すなわちどちらか一方が他国を凌駕するようになったときは、ためらわずに攻め込んで、相手を支配下に置こうと狙っているということです。

 

 国際会議というのは、パワーバランスの確認の場であると同時に、ぎりぎりパワーバランスを保ったうえで、相手からどれだけの利益を引き出せるかという交渉の場だったわけです。

 

 ですから国際条約には、その利益配分の結果が記載されるのが常です。○○島はどちらの領土である、とか、○○は○○に○○についての権利を認める、とかですね。

 

 大東亜共同宣言の条文には、このようなことは一言も書いていません。

 

 みんな仲良く助け合って、発展していこうね、と書いてあるだけです。

 

 これは加盟国が支配・被支配の上下関係ではなく、友愛と助け合いに基づく対等な関係であることを示しています。このような国同士の関係は、それまでの世界には存在しなかったものです。

 

 さらにはそれまでの植民地主義における欧米諸国の行為が、搾取であり、他国を隷属化させる野望であるとはっきりうたっています。

 

 これも画期的なことです。それまで欧米諸国の悪事を面と向かって指摘した国は一刻もなかったわけですから、日本がこれを指摘し、これから脱した国同士で、助け合っていこうと宣言したというわけです。

 

参加国の認識

 では、この会議に実際に参加していた各国は、これらについてどう考えていたのでしょうか。それは会議における各国代表の発言を見ればよく分かります。

 

ビルマのバー・モウ首相は、このように演説しています。

「私はアジアの夢を見続けて参りました。私のアジア人としての血は、常に他のアジア人に呼び掛けてきたのであります。昼となく夜となく、私は自分の夢の中で、アジアがその子供に呼び掛ける声を聞くのを常としましたが、今日この席において私は、初めて夢に非ざるアジアの呼声を現実に聞いた次第であります。我々アジア人は、この呼声、我々の母の声に応えてここに相集うて来たのであります」

 

 ここで我々の母の声という時の「母」とは、日本のことです。ビルマは、日本によって、イギリスの植民地から解放され、独立したことをはっきり認識し、日本を母として扱っているわけです。

 

中華民国の汪兆銘は、こう述べています。

 

「本年1月9日以来、日本は中国に対し、早くも租界を還付し、治外法権を撤廃し、ことに最近に至り日華同盟条約をもって、日華基本条約に代え、同時に各附属文書を一切廃棄されたのであります。国父、孫先生が提唱せられました大アジア主義は、既に光明を発見したのであります。孫先生が日本に対し、切望致しました所の、中国を扶け、不平等条約を廃棄するということも、既に実現したのであります」

 「重慶(蔣介石政府のこと)は他日必ずや、米英に依存することは東亜に反逆することになり、同時に国父孫先生に反逆することとなるべきを自覚し、将士及び民衆もまたことごとく飜然覚醒する日の到来することは必定たるべきことを断言し得る次第であります」

 

 西洋諸国と異なり、日本は中華民国を対等な仲間として接し、支配するという感覚がないことをしっかりわかっていますね。さらに日本による中華民国への進撃は、宗主国を追い出し、中華民国を開放するためだったということを、中華民国の汪兆銘自身がしっかり認識していたことがわかります。

 

インドのチャンドラ・ボースは、こう語っています。

「大東亜共栄圏の建設は「全アジア民族、全人類の重大関心事」で「強奪者の連盟に非ずして真の国家共同体への道を拓くもの」であり、「(大東亜会議の)出席者各位は、新日本、新アジアの建設者としてのみでなく、新世界の建設者として永くその名を歴史に止められるであろうことを、私は確信するものであります」

 こちらも日本が提唱する大東亜共栄圏の思想をよく理解し、心からそれに賛同していることが伝わってくる演説ですね。

 

大東亜会議による国際関係の転換

  でも今は対等な国際関係なんていくらでもあるじゃん、EUだってASEAMだって、ファイブアイズだってそうだし、2国間の条約だって、平和と友好をうたってるじゃん、と言っている方。

 

 まさにそれこそが、大東亜会議の功績なのです。

 

 2次大戦前は、支配と被支配の関係に基づく国家関係の下に、権利の配分を決めていた国際会議、国際条約が、2次大戦後は、対等な国家関係の下に平和と友好実現のための協力事項を決めるものに一変しているのです。

 

 この国際関係を一変させるきっかけとなった、対等な国家間関係に基づく最初の国際会議が大東亜会議であり、平和と友好実現のための協力関係を定めた最初の国際条約が大東亜共同宣言なのです。

 

 日本の無条件降伏により、予定されていた2回目の大東亜会議が実現されることはついにありませんでした。

 

 しかし会議の精神は今も生き続け、世界の国家間の関係はこの会議が意図したとおりのものとなっているのです。