笹原シュン☆これ今、旬!!

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二次大戦の真実10 日本は第二次世界大戦に勝利していた!? 戦後の歴史戦によって日本は悪者にされた。

大東亜戦争の戦果

 以上のように、日本は大東亜戦争に大勝利を収めました。

 

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 これはもちろん、戦闘そのものに勝利したという意味ではなく、本来の戦争目的であった、植民地の開放に成功したという意味です。

 

 タイ王国の第18代首相(在位:1975~76)のククリット・プラーモートは、これについて以下のように述べています。

「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。

12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

  

 この言葉に、日本が大東亜戦争で何を成し遂げたのか、それを当のアジア・アフリカ諸国はどう考えているか、が集約されているように思います。

 

 前記事までに様々なアジアの指導者の言葉を紹介してきましたが、今でもアジア、アフリカ諸国の指導者、及び国民は、日本が自分たちを植民地から解放してくれたことを認識し、日本に感謝をささげています。

 

日本人の罪の意識

 しかし、日本人はこれを全く分かっていない人が多いです。

 

 まずは、戦争に至った背景や、戦争目的が分かっていない。そもそも大東亜戦争という名称や、大東亜共栄圏がどんなものかをわかっていない方が多いです。

 

 さらには日本が世界中の植民地を解放させ、欧米諸国の世界奴隷化計画を止めたということもわかっていない。最終的に日本がすべての植民地を消滅させ、戦争目的を達成したことにより勝利を収めたこともわかっていません。

 

 日本人の中には、第二次世界大戦に対して罪悪感を持っている方が現在でもたくさんいます。

 

 彼らは、日本は世界征服の野望を抱き、アジア各国を侵略し、そこでアジアの人たちを虐殺した。日本はこれを深く反省し、被害を与えた方々に謝罪と賠償をしなければならない、と考えています。

 

 これは全く事実に反した考え方です。しかし日本人の多くはこの考え方を信じ込んでしまっている。

 

 なんでこういう事態が起こっているのでしょうか。それは終戦直後のアメリカによるプロパガンダと、それによって引き起こされた歴史戦に敗れたということが大きいと思います。

 

歴史戦の背景

 過去に実際に起こった歴史的事実は1つです。しかしその事実をどう解釈するかは、人によって様々です。

 

 後世の人間たちが、事実に意味づけを与え、歴史を作ります。この意味付けが2つ以上の勢力間で真っ向から異なるときは、お互いの歴史的意味付けを宣伝しあい、多くの人に受け入れられる考え方が、歴史として採用されていきます。この過程が歴史戦です。

 

 歴史戦は近年、韓国や中国がこの単語を使ったために一般的になりましたが、これ自体は紀元前から存在します。ポエニ戦争は、カルタゴから見ると、ローマによる侵略ですが、ローマから見ると、北アフリカの安定の達成でした。結局勝ったローマがこの解釈を広め、ポエニ戦役によるカルタゴの滅亡によって、地中海の平和が保たれた、という歴史になってしまったわけです。

 

欧米諸国の視点

 二次大戦は、欧米諸国にとっては完全に鬼門でした。もしも日本の主張が正しくて、日本が欧米諸国の簒奪を受けた植民地を解放したということになってしまえば、500年間にわたって自分たちがやってきたことが悪だとばれてしまいます。

 

 彼らにとっては、何としても日本を悪者にし、自分たちが日本の侵略行為を防いだという形にしなければならない、そうでなければ、自分たちの悪事がばれてしまう、ということだったわけです。

 

ディープステートの視点

 当時からすでに欧米諸国を中心に、隠然たる勢力をもって世界を操っていたディープステートは、これについてどう考えていたでしょうか。

 

 彼らは西洋諸国を支配し、西洋諸国を植民地支配へと駆り立て、全世界を植民地化することで、世界支配を完成させようとしていました。

 

 植民に主義こそが、ディープステート世界支配戦略の第1弾だったわけです。

 

 しかし日本の抵抗により、この目論見はもろくも崩れ去りました。これは彼らにとっては大きな誤算でした。

 

 彼らの最大の誤算は、日本が強すぎたことです。ですから彼らはまず、日本の弱体化を徹底的に行いました。将来また同じことをやられたらたまったものではないからです。

 

 それと同時に、世界支配戦略を大きく変更しました。戦争による全世界の支配を試みるのをやめて、経済システムによる全世界からの収奪に方針を変更したのです。

 

 戦争による世界制覇は、日本みたいな国が出てきてぐちゃくちゃになることがあるから、リスクが高すぎる、と踏んだわけですね。

 

 このディープステートによる経済収奪システムがどのようなものであるかについては、後の記事で明らかにしていきたいと思います。

 

当時の日本の視点

 当時の日本がアメリカを中心とする西洋諸国のプロパガンダを受け入れ、戦争に対する罪悪感を抱いてしまった最大の原因は、終戦と植民地の解放の間にタイムラグがあったことだと思います。

 

 大東亜戦争の終戦は1945年です。しかしその成果としての植民地の独立は、その翌年1946年のフィリピンが最初です。この後、40年代後半から50年代にかけて、アジア諸国が相次いで独立し、60年代以降にアフリカ諸国が独立します。そして最後の植民地であるパラオが独立を果たしたのは実に1994年のことです。

 

 戦闘の終了から戦争目的の完全達成まで、50年近くかかっているわけです。とくに1940年代後半の時点では、大東亜戦争は終わったものの、各国独立戦争の真っ最中で、植民地の独立は、達成できたのかどうかわからない、という状況が続いていたわけです。

 

 この時の日本国民はどういう気持ちだったのでしょうか?

 

 天皇陛下のためにすべてをささげ、父や夫が戦死し、それでも頑張ってほしいものを買わず、食べ物にも困りながら、勝利を信じて耐えてきたのに、負けてしまった。

 

 国土は焼け野原になり、戦争目的だった植民地の解放も達成できず、アメリカに無条件降伏して占領されてしまった。我々が頑張ってきたのはいったい何だったんだろう、と考えてしまったのは無理もないことだといえます。

 

 なんでこんなことになったのだろう、やはり天皇と政府と軍部が判断を誤っていたのだ、我々は彼らに騙されてすべてを失ってしまった、どうしてくれるんだ、という思いが国民の中に巻き起こっていったのは自然な流れだと思われます。

 

アメリカの行った歴史戦

 このような当時の日本国民の思いを背景に、アメリカが行った一連の情報操作は見事に日本国民の心に突き刺さりました。

 

 アメリカは、天皇陛下に人間宣言を行わせ、東京裁判によって、当時の政府首脳を戦犯として処刑しました。

 

 その後アメリカは、日本国内で、「ウォーギルト・インフォメーションプログラム」と呼ばれる一連のプロバガンダ工作を行いました。

 

 アメリカのシナリオは、軍部が世界征服の野望を抱き、国民を欺き、天皇陛下や政府の意思を無視してアジア各国に攻め込み、征服して、現地住民を虐殺、略奪し、自らの野望を達成した。その野望はアメリカを中心とする連合軍によって、打破された、というものです。

 

 終戦直後の1945年12月9日より、NHKラジオで、「真相はかうだ」という番組が放送されました。

 

 これはGHQ制作の番組で、上記のシナリオをわかりやすく日本国民に向かって宣伝したものです。日曜夜八時から30分間、1948年1月まで放送が続きました。

 

 これ以外にもGHQの様々な宣伝工作によって、上記のアメリカのシナリオは日本国民の間に広く浸透し、日本人の考え方に変化を及ぼしていきました。

 

 当時の日本人は、軍部に騙され、その野望に突き合わされた結果、日本はアジア各国を侵略し、それらの諸国で虐殺・略奪を行ったと信じ込まされました。

 

 この結果、当時の日本人は、もう2度とこんなことが起きないように、軍隊を解散し、政府を厳しく監視し、絶対に他国に戦争を仕掛けないようにしなければならないと思いこみました。

 

 そして大東亜共栄圏の思想は忘れ去られ、大東亜戦争の名称は廃止され、代わりに太平洋戦争と呼ばれるようになりました。

 

 これは欧米諸国にとっては、2重の意味で都合のいい考え方です。

 

 一つは、日本国民に二次大戦において日本が罪を犯したと思い込ませることによって、自分たちが犯した植民地収奪の罪と、日本による植民地解放の事実を隠蔽することができたということです。

 

 もう一つは、戦争においてとんでもない強さを発揮した日本を封じ込め、安心して自分たちの好き放題に他国に戦争を挑めるようになったということです。

 

反日左翼と反日マスコミの誕生

 この考え方は、当時流行していた左翼思想と結びつき、世界でも珍しい反戦左翼が誕生しました。彼らは共産主義を信奉し、軍隊を持たず、非武装中立を主張します。

 

 日本以外の左翼は皆、戦争を肯定し、武力革命を掲げるので、反戦左翼というのは非常に珍しい存在だといえます。

 

 その後誕生した日本国憲法にも、軍隊を持たず戦争をしないという条項が書き込まれ、彼らはこれを信奉するようになります。

 

 新聞・テレビなどのマスコミもこの思想を信奉し、政府を監視し、政府が強くなりそうになるとすかさず反対するのが自分たちの使命だと思い込むようになります。

 

 マスコミは、この思想に反することは一切報道せず、国民の洗脳に精を出すようになります。

 

 結果として、40年代後半以降の植民地の独立を、それが日本のおかげであるという事実は一切報道されず、日本国民は大東亜戦争の戦争目的が達成され、戦争に勝利したことを知らずに生活を続けることになってしまいます。

 

 そしていまだに二次大戦に罪悪感を持ち、アジア諸国に対して、謝罪と賠償を続けようとする人々が多数存在しているというわけです。

 

 これら反日左翼と反日マスコミの影響は、現在に至るまで継続し、日本国の足かせとなってしまっているのです。