笹原シュン☆これ今、旬!!

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北朝鮮の真実1 北朝鮮は日本の味方!? 金王朝が遂行する陰のミッションとは?

味方はだあれ?

 現在世界中でディープステート掃討作戦が進んでいます。この中で、どの国が光側で、どの国が、闇側となっているのでしょうか?

 

 まず、日本自体はトップが闇側で、掃討作戦の対象とされています。

 

 アメリカはトランプ大統領を総大将とする光側の代表ですね。

 

 日本に隣接する国々はほとんど闇側ですが、光側の国がアメリカを除いてあと2国あります。どことどこでしょうか?

 

 表の国家間の友好関係とはあまり関係ありません。考えてみてください。

 

 一つはロシアです。プーチン大統領はトランプ大統領の同志で、率先してロシア国内のディープステート掃討作戦を実行し、アメリカCIA の勢力を一掃しています。

 

 のちの記事で詳しく述べますが、プーチン大統領は、日本に対しても、日本国内で行われた、人工地震や人工台風、地下核実験の情報などを何度もリークしてくれていますね。

 

 中国はもちろん闇側です。現在では習近平が闇側の総大将格ですね。韓国も闇側です。東南アジア諸国もトップはほとんど闇に支配されています。

 

 あれ、あとどこかあったっけ?という方もいるかと思いますが、どこか忘れていませんか。

 

 そう、光側最後の一国は、北朝鮮です。

 

 仮に近い将来第3次世界大戦が勃発したとしたら、アジアにおける構図は、

 

 中国、韓国、東南アジア諸国 vs 日本、アメリカ、ロシア、北朝鮮

 

となるでしょう。北朝鮮は今も昔も、日本の心強い味方なのです。

 

 そんなばかな、北朝鮮はしょっちゅうミサイルを撃って、日本を脅してくるじゃないか、拉致問題だってまだ解決してないぞ、という方。あれにはいろいろと隠された事情があるのです。

 

 そもそも北朝鮮は、日本を守るために、日本軍の残党が建国した、第2の日本ともいうべき国なのです。

 

北朝鮮建国の経緯

 1910年から2次大戦の終戦まで、朝鮮半島は日本の領土でした。

 

 日本は朝鮮を、欧米諸国のように植民地として扱うことはせず、日本国内と同等の扱いをして、資本を投資し、産業を育成し、教育を整備しました。

 

 この時投資され、作られた工場や生産設備は、ほとんどが平壌(ピョンヤン)を中心とする現在の北朝鮮の地域にあります。

 

 朝鮮半島内では、日本人と朝鮮人や中国人がともに居住し、助け合って生活していました。

 

 日本本土では1945年8月15日の玉音放送で、日本軍は戦闘を停止し、9月2日のミズーリ号上での降伏文書調印によって、第2次世界大戦は終結しました。

 

 しかし、この後もまだ、朝鮮半島内では、陸軍の残留部隊が戦闘を続けていたのです。

 

 平壌にあった、日本の朝鮮総督府がソ連軍に降伏し、朝鮮残留陸軍が武装解除されたのは1945年9月9日のことです。

 

南北分断統治

 第2次世界大戦は、イタリア方式と呼ばれる方式で、戦後の統治国が決められていました。これは、相手国が降伏した時点で、その場所を制圧している国がそのまま戦後も統治するというスタイルです。

 

 終戦の時点で、38度線を境に、北部をソ連軍、南部をアメリカ軍が占領していましたので、戦後もそのまま、2国による分断統治が行われました。

 

 南部のほうは、草々にアメリカの完全統治が実現したようですが、北部においては、残留日本軍によるソ連への抵抗活動が根強く続けられていました。

 

 ソ連軍は、日本軍の残党を見つけ次第逮捕し、シベリアへ送って、強制労働をさせていました(シベリア抑留)。

 

 しかしソ連軍の目をかいくぐり、しぶとく抵抗を続けている者たちも存在しました。

 

 それが、残置諜者と呼ばれる工作員たちです。

 

 2次大戦中の日本軍は、英米に比べると極めて弱い諜報活動能力しか持たず、何度も諜報戦で煮え湯を飲まされていましたが、それでも諜報員(スパイ)の養成機関は持っていました。

 

 それが、陸軍中野学校です。この学校は、一般の士官学校とは異なり、生徒は武器を持たず、平服で長髪の格好をし、戦闘ではなく、主に、スパイ活動についての訓練を受けていました。

 

 ここで潜入対象国の言葉や、思想、文化、歴史などを徹底的に学び、日本人であることを隠して、その国の人間として潜入し、そこで工作・破壊活動を行うわけです。

 

 この中野学校出身の諜報員たちは、終戦前から、朝鮮人に成りすまして朝鮮に潜入し、朝鮮半島内で工作活動を行っていました。

 

 これらの諜報員たちが、終戦後も日本人であることを隠し、ソ連の目を欺きながら、北朝鮮内で、工作活動を行い、アメリカに占領されている日本本国に代わって、アメリカをけん制する役割を担ったのです。これが残置諜者です。

 

 これらの北朝鮮の残置諜者たちを取りまとめ、活動を指揮していたのが、畑中理(はたなか おさむ)という人物です。

 

 

 

 

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畑中理(金策)

 彼は現地においては、金策(きん さく)という朝鮮名を名乗り、朝鮮人の対日独立運動の闘士として、ソ連の目を欺いて活動していました。

 

 ちなみに金策というなまえは、彼がもともと残置諜者の中で、金策を担当していたからだといわれています。そのままですね。

 

朝鮮人民共和国建国の試み

 残置諜者たちは、日本国内の日本軍の残党たちと連絡を取りながら、北朝鮮に新たな国家の建国を試みます。

 

 その最初の試みが、終戦直後の9月に行われた、「朝鮮人民共和国」の建国でした。

 

 これは北朝鮮各地に人民委員会を設置し、この委員会がソ連の意志を受けて間接統治をおこなうという企画です。人民委員会の主要メンバーはもちろん日本の残置諜者です。

 

 しかし、この試みは、ソ連にばれてしまい、失敗しました。この時、たくさんの残留軍人や残置諜者が逮捕され、シベリアに送られています。

 

 しかしソ連は、直接統治がめんどくさかったのか、この人民委員会のシステムをそのまま残し、ソビエト民生庁が人民委員会に指示を出す形での間接統治形態をとります。

 

 畑中をはじめとするまだソ連にばれていない、多くの残置諜者たちは、この人民委員会に残ることに成功し、静かにチャンスをうかがうことになります。

 

朝鮮民主主義人民共和国の建国

 畑中たちが待ちに待った絶好の機会は、翌1946年にやってきました。

 

 アメリカが李承晩を擁立し、南朝鮮を独立させようとしているという情報が入ってきたのです。

 

 畑中は平壌の人民委員会議長として素早く動き、ソ連民生局に交渉して、北朝鮮を国家として独立させる運動を行います。

 

 しかし、南朝鮮の李承晩に匹敵する、国家の旗印となる人物がいませんでした。

 

 ソ連は独立国家建国を渋ります。

 

 この時、畑中は、かつての日本軍諜報機関で培った技術で、残置諜者部隊の総力を挙げて、新国家の旗印として適切な人物を見つけ出します。

 

 それが、金日成でした。

 

 

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金日成

 金日成は、2次大戦中に、日本軍を相手のパルチザン活動で名を挙げ、朝鮮国内での知名度がそこそこありました。

 

 しかし後ろ盾となる組織がなく、朝鮮労働党の北部分局の責任書記という、地方の閑職でくすぶっていたのです。

 

 畑中は、金日成に、日本軍の諜報機関が後ろ盾になることを告げ、金日成を新たな国家の指導者としてソ連に推薦します。

 

 ソ連はこれを承認し、各地の人民委員会の統括組織としての「北朝鮮臨時人民委員会」を設立し、金日成はその初代委員長に就任します。

 

 その後、1948年、南朝鮮における大韓民国の成立とともに、北朝鮮でもソ連軍が撤退し、朝鮮民主主義人民共和国が成立し、金日成はその初代首相に就任します。

 

 畑中理こと、金策は、金日成につぐナンバーツーの副首相に就任し、北朝鮮労働党中央委員会常務委員を兼任し、北朝鮮の実権を握ります。

 

金日成の神格化

 金日成は、地方の書記でくすぶっていたところを畑中に見いだされ、国家元首として担ぎ上げられました。彼は畑中に大きな恩義を感じており、彼の指示通り国政を行いました。

 

 彼以外にも政府や労働党の要所要所は、旧日本軍の残置諜者でかためられ、金政権は旧日本軍の傀儡政権となりました。

 

 この状態で、畑中は、戦前の日本の天皇制をモデルとして、金日成の神格化を推し進めていきます。

 

 後ろ盾となる組織がない金日成は、自分が死んだ後、あっという間に失脚してしまうだろう、しかし、金日成を建国の父として神格化し、人民の崇拝の対象にしてしまえば、自分の死後も反乱は起こらず、国家元首を金日成の子孫に世襲していくことができるだろう、という読みです。

 

 この神格化政策は大成功し、北朝鮮の国民は金日成を建国の父として崇拝し、金政権は安定していきました。

 

 金日成は、北朝鮮の絶対君主として君臨すると同時に、旧日本軍残党の意志に従い、日本のためにアメリカをけん制するミッションを遂行することになったのです。