土砂に埋まった建物
それでは、ロシア以外の地はどうなったのでしょうか。核戦争後のマッドフラッド(泥の洪水)は、ほぼ世界全域を埋め尽くしました。
ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアも泥に埋まりました。もちろんDSローマの本拠地、イギリスも例外ではありません。
DSにとっては、自国の国民がどれだけ死んでも知ったことではない、ということです。
たとえば、ナポレオンの本拠地であったパリは、5~7メートルの土砂に埋め尽くされました。
これはパリにおける1971年の工事の様子です。
地下7メートルにわたってローマ風の建築物が土砂に埋もれており、その遺跡の上に、現代の建築物が建てられているのがわかります。
こちらは同じくパリの1973年に行われた建設工事の模様です。やはり地下にローマ風の建造物が埋まっていたのがよくわかります。
こちらは有名なエトワール凱旋門です。上から見ると、上部に建物の基礎が残っているのがわかります。
この上にはかつて高い鉄塔がそびえていたそうです。
こちらはローマです。19世紀半ばの写真ですが、土砂に埋もれた建物を一生懸命掘り出しているのがわかります。
有名なコロッセウムも、下の部分が土砂に埋もれていて、20世紀になってから掘り出したようです。
こちらはエジプトです。ピラミッドもスフィンクスも、19世紀半ばには、下の部分が砂に埋もれていたことがわかります。
エジプトのルクソール神殿も、砂に埋もれていたのを掘り出したようですね。
人のいない町
マッドフラッドの直後には、5~7メートルの土砂によって、町がうまり、建物の一階部分が地下になった建物が大量に出現しました。
以下はそのような街の写真です。
建物が整然と並んでいるのに、人が一人もいないのことに注目してください。
町の人々は、マッドフラッドの土砂に埋もれて全滅してしまいました。
わずかに生き残った人々も、その後3年続いた核の冬による厳しい寒さによって、食糧不足によって、次々に倒れ、また、町を捨てて、郊外の食糧のある場所へと移住していきました。
こうして、これらの町は、まったく無人で、一階部分が土砂に埋もれた建物だけが残されることとなったのです。
19世紀半ばには、このようなゴーストタウンが世界中に存在していました。
その後、このような、人間のまったくいない、半ば土に埋もれた街に、DSローマの領域から、たくさんの人々が移住していったのです。
暗黒の中世とは
みなさんは暗黒の中世という言葉をお聞きしたことがあるでしょうか。
公式の歴史では、中世ヨーロッパは、魔女狩りや異端審問で多くの人々が殺され、町には上下水道がなく、道は汚物にまみれ、きわめて衛生状態が悪かったということになっています。
しかし、中世、近世に当たる時代は、実際にはタルタリア帝国全盛の時代であり、高度に文明化された時代でした。
では、暗黒の中世とはなんなのでしょうか。
わたしは、暗黒の中世というのは、マッドフラッド後の混乱した世界のことであると考えています。
DSはこの時代に起こったことを、あたかも中世に起きたことのように記述することで、タルタリア時代を隠蔽し、タルタリア文明を闇に葬ろうとしたのでしょう。
占領された町々
DSローマの人々によって占領された、マッドフラッド後の町はどのような感じだったのでしょうか。
彼らはタルタリア文明の遺産となる町や建物を占領しましたが、それらの建物の本来の使い方を知らなかったため、とんでもない問題がいろいろ発生しました。
フリーエネルギー発電所は、DSの崇拝するキリスト教の教会となり、工業プラントはDS貴族の住む宮殿となり、農業プラントは、DS貴族の庭園となりました。
例えば、上記の写真のベルサイユ宮殿には、トイレがない、というのは有名な話です。
この建物は本来、無人で動くフルオートメーション化された工場だったため、トイレなんかは必要なかったからです。
この宮殿を占領したDS貴族たちは、毎日のようにそこで宴会を行い、どんちゃん騒ぎをしていました。
トイレがないので、用を足すときは部屋の隅やカーテンの陰に行き、そこで行っていました。もちろん床は汚物まみれになります。
床に散らばった汚物を踏まないようにということで、作られたのがハイヒールです。
当時の貴族の女性は上のような、裾が大きく広がったドレスを着ていますね。このドレスの下には、何もつけていません。
彼女たちは、このドレスを着たまま、部屋の隅に行き、ちょっと前かがみになって、そのまま用を足していたのです。大きく広がった裾が、その様子を隠してくれていたというわけです。
また、寝室は宮殿の上層の階にありましたが、もちろんトイレはありません。
彼らは夜のうちに桶やバケツに用を足し、翌朝、たまった汚物を、窓から勢い良く、外にまき散らしていました。
この上から降り注ぐ汚物をブロックするために、男性はつばの広い帽子をかぶり、女性は日傘をさすようになりました。
こんな感じのスタイルの貴族の女性の絵画や写真が数多く残されていますが、これはファッションというよりも、きわめて実用的な衣装であったのです。
すその広がったドレスは、立ったまま、道端で用を足すため。
日傘は、ときおり上空からふりそそぐ汚物をブロックするため。
ハイヒールは、道端に散乱した汚物を踏まないようにするため。
抱きかかえている小型犬は、体につく「のみ」を、犬の体に移すためです。犬のほうが人間よりも体温が高いので、のみが犬の体を好むからです。
彼らは一生のうち2回だけ、洗礼の時と婚礼の時、しか風呂に入らなかったそうです。体から発する悪臭をごまかすために、香水が発達したのです。
元の世界では上下水道は完備していたのですが、泥に埋まって使用不能となり、水は極めて貴重だったため、風呂に入ることに使用することができなくなったからと思われます。
衛生状態は極めて悪い、世界だったといえます。
ちなみに、占拠している宮殿が、汚物にまみれ、どうにもならなくなったときは、さっさと捨てて、他の宮殿を占拠し、そこに住みつく、ということを繰り返していたようです。
これらは、残された建物の本来の使用法を知らなかったために、起きた事態であるといえるでしょう。
こうしてタルタリア文明は次第に忘れられていき、残された多くの建物は、本来の用途と全く違う使い方をされながら、現代に残っているというわけです。