観光船沈没事件発生
2022年4月23日13時、有限会社知床遊覧船が運航する、観光船「KAZU Ⅰ」が、北海道斜里郡斜里町の、知床半島西海岸沖のオホーツク海域で沈没しました。
沈没地点は、知床半島の、ウトロ港から知床岬に向かう途中の、カシュニの滝付近とされています。
KAZU Ⅰ には、子ども2人を含む乗客24人と、船長・甲板員の合計26人が乗船しており、午前10時にウトロ港を出港し、知床岬へと向かいました。
海はかなり時化ており、強風注意報および波浪注意報が発令されていました。
事故当日の朝、KAZU Iの船長は、別の観光船運行会社の従業員から「今日は海に出るのをやめておいたほうがいい」と忠告されていたそうです。
13時10分の時点で船長は「カシュニの滝にいる」と言っていましたが、13時13分「エンジンが止まって前のほうから沈んでいる」と船長が従業員に無線で伝え、従業員が118番通報(海上保安庁へのSOS)しました。
この後間もなく、KAZU Ⅰ は、沈没したとみられています。
遅れに遅れた救助活動
通報を受けた第一管区海上保安本部は、13時22分 、釧路航空基地にヘリコプターの出動を指示、同時に巡視船に対して出動の指示を行いました。
しかし、この後の対応は、遅れに遅れます。
海上保安庁のヘリが、現場周辺に到着したのは3時間後の16時半、巡視船に至っては、18時前になって、やっと現場に到着します。
釧路航空基地からは、現場までヘリなら5分で到着できる距離であるにもかかわらずです。
一方、熊本を視察中だった岸田首相は、一報を受けて、翌日以降の予定をすべてキャンセルし、熊本から自衛隊のヘリで東京に帰還しました。
一民間船の海難事故としては、極めて異例の対応です。まるで何か重要な外交問題が発生したかのようですね。
生存者の救助も遅々として進まず、捜索は翌24日以降に持ち越されました。
翌24日からは、現場周辺に自衛隊が投入されます。
24日0時10分 護衛艦「せんだい」が出港し、P3C対潜哨戒機 UH60J輸送ヘリ E-2早期警戒機も現場周辺海域の捜索に向かいます。
しかし、護衛艦「せんだい」が現場に到着したのは、じつに17時になってからでした。
24日17時過ぎにやっと遺体が発見され、現場周辺海域から11人の遺体が収容されました。
この後、あと3人の遺体が発見されたのは、じつに5日後の28日になってからです。
現時点で、生存者は一人も発見されておらず、11人が行方不明となっています。
救助隊の現場到着までの不自然な遅れ、救助活動開始の遅れ、首相が急遽自衛隊のヘリで帰京など、まるで、1985年の日本航空123便の墜落の後の状況のようですね。
沈没した KAZU Ⅰ の船体の捜索も遅々として進まず、海上自衛隊の掃海艇「いずしま」が、水深120メートルの海底で船体を発見したのは、じつに沈没から6日後の、4月29日の11時7分のことでした。
高性能ソナーを備えた海自の掃海艇が、沈没船一隻を見つけ出すのにこんなに時間がかかるでしょうか?
KAZU Ⅰ を運航していた、知床遊覧船の桂田精一社長の態度も、途中で豹変しています。
4月29日に観光船が海底で発見されたときには、桂田社長は、従業員に対し、
「マスコミは面白がり物語を作る」と述べ、「皆さんの力で守ってください」と呼びかけていました。
マスコミ報道を否定し、それと徹底抗戦する構えです。
しかし5月に入ると、あっさり態度を豹変させ、5月7日の乗客家族への説明会では、家族にあっさりと頭を下げ、一人1億円の保証を約束しています。
この間、桂田社長にいったい何があったのでしょうか?
引き上げた観光船が海中に落下
海底に沈んだKAZU Ⅰ が、引き上げられたのは、実に事件から1ヵ月後の5月23日16時のことでした。
翌24日、引き上げを担当した「日本サルベージ」の作業船「海進」が、観光船を曳航中、なんと、観光船を船体につなぎとめているスリングのうち、2本が切れ、観光船KAZU Ⅰ は、再び182メートルの海中へと沈んでしまったのです。
まあ、なんというか。こんなことってあるのでしょうか?
観光船引き上げ完了?
観光船KAZU Ⅰ が、再び海中から引き上げられ、曳航されて無事網走港に到着したのは、それから3日後の5月27日のことです。
しばらく船体にブルーシートがかけられ、船内の捜索が行われました。
船体が陸揚げされ、姿が公開されたのは、6月1日になってからでした。
陸揚げされた船体を見た第一印象は、「あれ?ずいぶん真新しい船だな」というものでした。
沈没から1か月以上経過し、2回も海底に沈んだはずなのに、傷一つなく、水草などが生えている形跡もありません。
この直後から、ネット上で間違い探しが始まりました。
陸揚げされたKAZU Ⅰ は、沈没前のKAZU Ⅰとは、まったく別の船だというのです。
実際に、運航していた当時のKAZU Ⅰと、陸揚げされたKAZU Ⅰとの画像を比較してみましょう。
上のA・Bが、運航していた当時のKAZU Ⅰ、Cが陸揚げされたKAZU Ⅰです。
まず目につくのは、ドアの色です。運航当時は銀色の窓付き扉だったのが、陸揚げされたほうは、茶色のドアになっています。
上空から見た甲板の色も違っていますね。運航当時は全面青だったのに、陸揚げされた後は後ろの一部だけ青で、前の部分は白くなっています。
デッキの手すりも、運航中はなかったものが、陸揚げされた後には追加されてしまっていますね。海中で取り付けたのでしょうか?
前から見た写真でもだいぶ違いますね。
窓に黒い枠があったのがなくなっていますし、煙突も緑だったのが白くなっています。
船体向かって左にあった2本のロープ掛けが、船体向かって右に移動していますね。
海中でロープ掛けが左から右に移動するなんてことがあるでしょうか。
これ以外にも数多くの相違点が、ネットに上がっています。ぜひ一度、ご自分の目で、ご確認いただくことをお勧めします。
結論としては、運航当時のKAZU Ⅰと、陸揚げされたKAZU Ⅰは、同じ型ではあるが、全く違う船だといえるでしょう。
それも、よく見てみれば何となく違う、というレベルではなく、素人でも見比べた瞬間に別の船だとわかるというレベルの、違いです。
知床観光船の真実
さて、これまでの経過を踏まえたうえで、知床観光船に起きたことを、つじつまが合う形で再構成してみましょう。
私は、観光船KAZU Ⅰ の沈没は、事故ではなく、ロシア潜水艦による撃沈であると考えています。
撃沈地点は、発表された沈没地点よりだいぶ北、ちょうど船体が海底で発見された海域周辺だと思われます。
撃沈の様子は、警戒衛星などでキャッチされており、岸田首相は自衛隊からの一報を受け、急遽、熊本から自衛隊のヘリで帰京したのでしょう。
真実を発表したらロシアと戦争になると判断した岸田首相は、123便の時のように、事件の真実を徹底的に隠蔽することを決意します。
自衛隊機や護衛艦、海上保安庁のヘリなどは撃沈直後に現場に到着しており、そこで証拠隠滅を行っていたと思われます。
木っ端みじんになった船体のかけらをすべて回収し、死体を回収し、ことによると、123便の時のように、目撃者の口を封じるため、生存者の〇害を行っていたかもしれません。
証拠がすべて回収し終わってから、現場に到着したことにしたのでしょう。
その後、海底に横たわる船体の画像を作成し、マスコミに発表します。
船体の引き上げまでに1か月かかったのは、その間、同型の別の船を一生懸命調達していたのでしょう。
その調達した船が走行する写真を撮り、新たな船が海底に横たわる画像を作り、ネット上に流し、船底に穴をあけて、海中に沈めます。
最初の引き上げは行われておらず、海中に落としたということにしてから、あらかじめ沈めた新たな船を引き上げたと思われます。
そして何食わぬ顔で、引き上げた船体を公表したところ、ネット民の袋叩きにあってしまったというわけです。
今まではこれでごまかせたかもしれませんが、ネットが発達した現代では、あっという間に間違い探しが行われてしまったというわけです。
ちなみに観光船会社の社長が態度を豹変させたのは、日本政府から、事情を教えられ、支援を約束されたからでしょう。
乗客一人当たり1億円の補償金を中小企業が出せるでしょうか。そんなに都合の良い保険に入っていたのなら、最初から取り乱す必要はなかったでしょう。
おそらく一人当たり1億円の保証金は、国から内緒で社長経由で支給されているはずです。
この1億円という金額は、自衛隊が海外支援したときに、戦死した隊員の遺族に支払われる金額と、ちょうど同額となっています。
ここまで読んできて、なぜロシアが民間船を撃沈するのか、なぜそれを政府が隠蔽する必要があるのか、なぜここまで手の込んだ証拠隠滅を行うのか、疑問に思った方は、ぜひ私の動画をご覧ください。
この動画の中で、事件の背景、その詳細についてすべて説明しています。
https://nicochannel.jp/shunsasahara/video/smtS8xjxUJH42jTiyLzzv53G
上のリンクからご視聴ください。後半は有料です。どうもすいません。