大麻は麻薬?
大麻は、現在では麻薬として、大麻取締法で規制されています。
大麻は大麻草の葉に火をつけて、煙を吸引する、というスタイルですが、そもそも大麻草自体は、とても有用な植物で、吸引以外にも、世界中でさまざまな用途に使用されてきました。
大麻はいまでは大麻(たいま)と読むのが一般的ですが、もともとは大麻(おおあさ)もしくは、単に麻(あさ)と呼ばれていました。
麻は人類が最初に発見したとされる繊維植物で、世界中で布、衣服として使用されてきました。
特に日本では、縄文時代から民衆の間にひろまり、弥生時代には、ほぼすべての人が、麻の衣服を着ていたといわれています。
また、麻には魔を払う力があるとされ、神社や神道の行事でさまざまな用途で用いられてきました。
神社のお札や幣(ぬさ)、鈴縄,注連縄(しめなわ)や、巫女の髪結い、狩衣、お盆の迎え火など、さまざまな場面で大麻が用いられていました。
幣(ぬさ)というのは、巫女さんが持っているこれです。

「祓い給え、清め給え」なんて言いながら振るやつですね。
幣の垂れ下がった部分は、今では紙製になっていますが、大麻取締法で規制される前は大麻製でした。
お札も今では紙に書かれていますが、以前は麻布に書かれていました。
注連縄(しめなわ)も、今ではわら製のものが多いですが、本来は大麻でなわれていたのです。
これらはすべて、大麻の使用が禁止されたため、代用品を使用しているわけです。
皇室行事でも、大麻は使われていました。
今でも行われている、天皇の代替わりの時の最初の新嘗祭である、大嘗祭においても、大麻は必要不可欠な役割を果たしています。
大嘗祭は、天皇陛下が在位中に一回だけ行う、最も重要な儀式とされています。その配置は、以下のようになっています。

大嘗祭においては、陛下の寝座の横に2つの衣服が供えられます。
それが麁服(あらたえ)と 繪服(にぎたえ)です。麁服(あらたえ)は大麻でできていて、 繪服(にぎたえ)は絹でできています。
大嘗祭は、最近では、今上天皇即位の後、2019年(令和元年)11月14~18日に行われたばかりです。
現代においても、大麻は皇室行事に必要不可欠な植物となっているのです。
マリファナの効用
以上で大麻の主にヘンプと呼ばれている、繊維部分の効用について述べました。
それではいよいよ、大麻のマリファナと呼ばれる、吸引部分についての効用を見てみましょう。
マリファナは現在大麻取締法によって、厳しく規制されています。
マリファナには様々な成分が含まれていますが、主な成分は、テトロヒドロカンナビノール(THC)と、カンナビジオール(CBD)の2つです。
このうち規制の根拠となる、麻薬とされる成分は、主にTHCのほうです。
日本では、両成分ともに規制の対象となっていますが、欧米ではCBD のほうは、医療用大麻と呼ばれ、さまざまな病気の治療薬として用いられています。
主な効用は、痛みを和らげる鎮痛剤としての効果と、小児てんかんなど、マヒ性の疾患の治療薬としての効果です。
また成人の多発性硬化症を治癒する抗痙攣剤としても用いられています。
問題のTHCですが、こちらは吸引によって、どのような効果が出るとされているのでしょうか。
THCを吸引すると、高揚感や多幸感を感じる向精神作用が見られます。そのほか、音がよく聞こえたり、景色がいつもよりきれいに見えたり、インスピレーションが沸いてきたり、食事がいつもよりおいしく感じるような効果もあることが知られています。
大麻を麻薬とする人たちは、このようなTHCのもつ、向精神作用を、その根拠としているわけです。
しかし、THCの肉体依存性はほぼなく、精神依存性も、酒やたばこ以下で、カフェイン程度であることが、さまざまな臨床試験により、明らかになっています。
マリファナの依存性といっても、コーヒー程度だということです。
そしてTHCには、とんでもない薬効が報告されています。
まずはアルツハイマーに対する効果です。老人性痴呆、アルツハイマーは、決定的な治療薬はないとされていますが、
大麻を吸ったアルツハイマー患者が、一気に治癒する症例が多数報告されています。
また、各種の慢性痛、関節痛、白内障や緑内障にも効くとされ、がんも消滅させ、
極めつけは、エイズの治癒させた例があるのです。
まさに万能薬、といった効用を持っていることがわかります。
日本人は、実は古代から、大麻の薬効に気づいており、万能薬として、あらゆる病気の治療に、大麻を使用してきました。
もちろん、心を落ち着かせ、感覚を研ぎ覚まさせるための向精神薬としても、大麻を利用していました。
今でも芸能人で、大麻で捕まる人が多いのは、大麻によってインスピレーションが研ぎすまされ、いい作品を作れるようになるからだそうです。
つまり、大麻とは、万能薬であり、魔を払う作用を持ち、さまざまな衣料品として利用でき、日本においては、神道の宗教行事にも欠かせない、極めて重要な植物であったというわけです。
大麻規制のはじまり
では、こんなに有用な植物である大麻が、なぜ規制されることになったのでしょうか。
答えはもちろん、「あまりにも有用であるから」です。
世界的な大麻の規制は、1920年代から始まっています。
この時問題となったのは、マリファナの持つ、エイズ治癒効果でしょう。
エイズは公式には性病ということになっていますが、以前の記事で述べたように、実はワクチンによる免疫低下症です。
スペイン風邪パンデミックにおいて、毒ワクチンをうち、免疫が低下した人たちが、マリファナを吸って回復することがわかったのでしょう。
DSは、100年後のパンデミックのために、ワクチンを浄化する、酒やたばこを規制しましたが、その一環として、マリファナの規制も一緒に行ったものと思われます。
1925年に行われた、ジュネーヴ麻薬会議において、大麻が麻薬と認定され、欧米における大麻規制が広まっていきました。
これにともない、日本国内においても、マリファナが麻薬であるという認識は徐々に高まっていきます。
日本政府は、大麻の吸引を徐々に規制していく一方で、繊維としての大麻(ヘンプ)の生産とその使用を全面的に認め続けました。
これは麻の衣服が民衆に広く広まっていたことに加えて、神社における神事や、神道の儀式、ひいては宮中祭祀において、大麻が必要不可欠だったことが、原因と思われます。
当時の日本は、国家神道を国教とし、神道を国家運営の基本原理に据えていましたので、
神道の儀式に支障をきたす、大麻規制は受け入れることができなかったのです。
GHQによる大麻規制
日本において、本格的な大麻規制が始まったのは、第2次世界大戦後のことです。
日本はGHQによる占領下におかれましたが、日本政府は神事における使用を盾にして、大麻の規制を拒み続けました。
マリファナの規制は戦後すぐに行われたのですが、日本政府は、マリファナとはインド大麻のことであり、日本の大麻は関係ない、と主張して、農作物としての大麻を生産し続けました。
インド大麻というのは、ようするに海外の大麻のことです。日本の大麻と海外の大麻は実は同じ植物なのですが、日本政府は別種のものとして規制を拒んでいたのです。
日本政府お得意のダブルスタンダードですが、このときは、有効に機能していたのですね。
この状況が変化したのは、1946年に起きた、ある事件がきっかでした。
京都のある農村で栽培されていた大麻が、GHQによって発見され、農家2名を含む4名の民間人が、GHQに身柄を拘束されてしまったのです。
彼らは麻薬採取の目的での栽培でないことを主張し、京都府当局は、京大薬学部の刈米・木村博士の鑑定書を添付して、GHQに嘆願しました。
しかしGHQは、「その栽培の目的如何にかかわらず、また麻薬含有の多少を問はず、その栽培を禁止し、種子を含めて本植物を絶滅せよ」と命令し、4人は処罰されてしまったのです。
これが日本における大麻取り締まりの、初の摘発事件となりました。
このままGHQは日本政府に、大麻の全面的取り締まりを要求してきましたが、そのままこれを実行すると、神事が実行できなくなるどころか、衣料や漁網などの生活用品が生産できなくなってしまいます。
当時は大麻専業農家も数万戸単位で存在していましたので、政府はGHQに嘆願し、何とか大麻の生産を続行しようと画策します。
再三にわたる折衝の結果、1947年2月、GHQから「繊維の採取を目的とする大麻の栽培の件」という覚書が出され、一定の制限の下で、繊維用大麻の栽培が許可されました。
あわせて厚生農林省(当時)は、「大麻取締規則」を制定し、栽培面積を全国で5000町部以下に制限したうえで、一定の地域の農家に、大麻の栽培を許可しました。
日本において大麻を根絶しようとするGHQに対して、なんとか日本政府は、繊維用大麻の生産を守り切ったのです。
しかしその後もGHQは、大麻の生産停止を日本政府に要求し続けました。
日本政府はこの要求に抗しきれず、1948年7月10日に、「大麻取締法」が制定されます。
この法律では、大麻草とその種子、製品を、学術的研究および繊維・種子の採取に限定し、
大麻取扱者を免許制にして、免許取得者以外の大麻の生産・加工を禁止しました。
とはいってもこの時点では、免許取得者は2万3902人となっており、これは当時大麻を生産していた農家のほぼすべてでした。
GHQに従って、大麻を禁止したことはしましたが、大麻生産農家はなんとか守ったというわけです。
その後、麻の需要増に伴って、大麻免許取得者はしばらくの間増え続け、1954年には、3万7313人となりました。
1952年には、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を取り戻します。
日本政府は、連合軍にはたらきかけ、条約発効を機会に、大麻取締法の廃止および、大麻生産の免許制の廃止を画策しますが、これは実現しませんでした。
そして、1961年に、国連が「麻薬に対する単一条約」を採択し、この麻薬の中に大麻が含まれていたため、日本に対する大麻取り締まり圧力が一気に増大します。
さらにこのころベトナム戦争への反戦をうたったヒッピー文化が興隆し、大麻の吸引がブームとなったので、欧米諸国で大麻撲滅運動が盛り上がりました。
この影響は日本にもおよび、日本国内で大麻は、「違法な薬物」として、認識されるようになっていったのです。
これによって、大麻免許取得者は急減し、64年には7042人、74年には1378人となり、80年代には繊維としての大麻は、ほぼ日本国内から消滅してしまったのです。
大麻解禁の流れ
日本で大麻の規制がどんどん厳しくなっていったちょうど同じ時期、アメリカにおいては、大麻の復興運動が盛んになっていきます。日本と真逆の流れです。
アメリカにおいて、大麻取り締まりの根拠となる「大麻の有害性」が、実はたいしたことがないのではないかという疑問が高まり、
さらには大麻が持つ様々な有用性があきらかになって、大麻の価値が見直されていったのです。
この流れが加速することになったのは、77年に行われた大統領演説です。

1977年、ジミー・カーターが大統領に就任すると、その年の8月2日の米国議会の演説で
「薬物所持に関する罰則は、薬物の使用そのものよりも、個人に大きなダメージを与えるものであってはならない」
と述べました。
これはつまり、大麻はたいして有害ではないのだから、厳しい取り締まりをするのはおかしいだろ、という意味です。
カーター大統領は、1オンス(28グラム)以下の大麻所持についての罰則を、すべて撤廃しようと考えていたのです。
しかしこの後、DSによって大麻合法化反対の運動がおこされ、この時点での大麻合法化は失敗に終わります。
その後、医療用大麻の効能が周知され、嗜好用大麻(マリファナを吸う)の危険性の低さも明らかになっていくにつれ、各国で再び大麻解禁の運動が起きていきます。
そして1998年、まずは医療用大麻が、一部の国と地域で解禁されます。
この年、アメリカでは、オレゴン州、ワシントン州、アラスカ州、ネバダ州の4つの州で、州民投票が行われ、医療用大麻が解禁されます。
アメリカにおける医療用大麻の解禁は、その後、燎原の火のように広がっていき、今では、50州中40州で、解禁されるに至っています。
このアメリカの動きに世界各国が追随し、イギリス、オランダ、スペイン、ポルトガル、ベルギー、オーストリア、イスラエル、フィンランド、韓国、タイなどが、相次いで医療用大麻を解禁しました。
嗜好用大麻解禁の流れは、2010年代から始まります。
アメリカでは2012年、ワシントン州で州民投票が行われ、全米で初めて、嗜好用大麻が解禁されました。
その後、各州にて一気に嗜好用大麻解禁の流れが起き、現在では全米で24の州で、マリファナを吸うことができるようななっています。
国家として初めて、嗜好用大麻を解禁したのは、2012年のウルグアイです。
その後、カナダが2018年に解禁、2024年には、ドイツが嗜好用大麻を解禁しています。
日本における大麻規制
世界各国で大麻規制が緩まり、つぎつぎに大麻が解禁されていく一方で、わが国においては、逆に大麻規制が強化されていっています。
2024年に、大麻取締法が改正され、それまで栽培と所持のみ規制されていたのが、使用そのものまで規制されることになり、規制はさらに厳しくなっています。
さらに、産業用大麻としてのヘンプも、厳しい規制が維持され、栃木県内のごくわずかの免許を受けた農家で、神事用の麻布を、細々と作っている状態です。
一方で、医療用大麻の利用の議論は、2010年代後半からなされ始め、2023年になってやっと、CBDを含む薬剤の使用が条件付きで許可されています。
しかし、THCおよび、嗜好用大麻は、いまだに厳しい規制がなされたままです。
DSによる規制の趣旨
これまでに述べた、酒、たばこ、大麻は、それぞれ、ワクチンを浄化する作用を持っています。
酒は主にワクチンに含まれる寄生虫を抑え、たばこは酸化グラフェンを分解し、大麻は免疫破壊を防ぐ働きを持っています。
ということは、酒を飲みながら煙草を吸い、大麻を吸引すれば、ワクチンの効果は、すべてキャンセルされてしまう、というわけです。
DSは、1920年のスペイン風邪の時点でこの事実に気づき、酒とたばこ、大麻を規制することを計画しました。
最初に規制が実行されたのは酒ですが、すでに述べたように、あまりに急激に実行された禁酒法が、民衆の大反発を招き、見事に失敗しました。
次に規制されたのが大麻で、1925年ごろから大麻は麻薬であるというキャンペーンを行い、1950年ごろには、各国でほぼ規制が完了しました。
しかし、あまりにも早く規制してしまったために、その後次第に大麻の有用性がばれていき、規制反対運動が起きて、肝心の2020年には、多くの国が大麻を解禁しているという事態になってしまいました。
最後に規制したのはたばこです。こちらは1950年代から規制をはじめ、80年代から一気に規制を強化し、ぎりぎり2020年に、規制が完成しました。
こちらはタイミングよくちょうどぴったり規制に成功し、民衆はまだたばこの有用性に気づいておらず、規制反対運動も起きていない、ということでしょう。
今後各国で大麻の規制解除が進み、たばこに関しても、体にいいことをひとびとが認識し、規制反対運動がおこり、解禁されていくことを、期待しています。
日本における大麻規制の特別な役割
日本において、世界の流れに反し、大麻規制が一向に緩和されないのには理由があります。
日本では縄文時代からすでに、民衆の間に大麻の利用が広まっており、他の国々と比べ生活のあらゆる分野で、繊維としての大麻が使用されていました。
麻の服、縄、漁網、履物、紐、糸は広く普及していましたし、そのほかにも、下駄の鼻緒、畳糸、凧糸、蚊帳、和紙、漆喰壁、茅葺屋根、麻炭、弓弦、七味唐辛子などにも用いられていました。
また大麻は、魔よけの効果があることも知られており、神社や神道の儀式の際にも、広く用いられていました。
対米戦争後、GHQは、大麻が日本の文化、生活に広く浸透していることを見抜き、日本弱体化のための政策として、大麻を徹底的に規制していったのです。
大麻が使用できるかどうかは、日本人が本来の日本文化を取り戻すことができるかどうかと、密接に関連しているのです。
日本人はこの事実に早く気づき、一刻も早く、大麻を解禁し、日本人の本来の生活文化、神道の儀式を、とり戻さなければならないと思います。