笹原シュン☆これ今、旬!!

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地震兵器6 熊本大地震は、自衛隊による地下核実験だった!? 自衛隊駐屯地を震源とする群発地震の真実とは?

熊本地震震度7

 2016年4月14日21時26分、熊本にて、M6,5の地震が発生しました。

 

 熊本県益城町では、観測史上最大の震度7を観測し、その後も熊本県及び大分県にかけて、余震が続きました。

 

 

 2日後の4月16日1時25分、近接した震源地でもう一度M7,3の地震が発生し、熊本県西原村で、再び震度7を観測しました。

 

 同一の地震で2回震度7が発生するのは、観測史上初の事態となりました。

 

 しかし、この地震には、不可解な点が多数あります。

 

 まずは、4月14日の地震発生直後、すぐさま自衛隊が救助活動を始めていることです。

 

 通常自衛隊は、都道府県知事の出動要請を受けてから動くので、地震発生の数時間後、ことによっては数日後に、重い腰を上げるものです。

 

 熊本地震では、地震発生1分後に、すでに出動命令が出ています。

 

 まるで地震が発生することを、あらかじめ知っていたかのようです。

 

 また地震発生後の、政府による避難命令が、不可解極まるものでした。

 

 この地震では、4月14日の一度目の震度7の直後、多くの人々が家を出て屋外に避難し、地面にビニールシートを敷いて寝ていました。

 

 このおかげで、その後のうち続く余震の家屋倒壊による死者が極端に少なく、4月15日の段階で、死者は9名にすぎませんでした。

 

 しかし、4月15日の夕方、政府は全避難者の屋内退避命令を出します。

 

 そして外にいた避難者が自宅に戻り、寝静まった4月16日の深夜、1時25分に、2度目の震度7の地震が発生します。

 

 これによる家屋倒壊で、多くの方が犠牲になり、最終的な死者は、273名となりました。

 

 まるで、屋外に避難した人をわざわざ屋内に呼び戻し、寝静まったところを見計らって、巨大地震を起こしたかのようです。

 

 放っておけば死なずに済んだ200名以上の人々を、殺すためにわざわざ屋内退避命令を出したように見えます。

 

 ちなみにこの屋内退避命令を出したのは、当時防災対策大臣だった、河野太郎です。

 

 

震源は自衛隊駐屯地

 この地震の波形を見ると、

 

 いつもながらの人工地震の波形です。

 

 次は震源を見てみましょう。この地震は、これまでの地震と比べて、震源の位置に大きな特徴があります。

 

 最初に震度7を記録した、2016年4月14日21時26分の地震の震源は、北緯32度44.5分、東経130度48.5分、震源の深さ10km。この緯度経度を地図に入力すると、そこには陸上自衛隊健軍駐屯地があります。

 

 

 2度目に震度7を記録した、4月16日1時25分5秒の地震の震源は、北緯32度45.2分、東経130度45.7分 。この緯度経度を地図に入力すると、そこには陸上自衛隊高遊原分屯地があります。

 

 ちなみに、その直後に起きた大分県を震源とする、4月16日1時25分37秒の地震の震源は、北緯33度16.4分 東経131度21.1分。この緯度経度を地図に入力すると、そこには陸上自衛隊湯布院駐屯地があります。

 

 なんと、熊本地震の主な震源はすべて、陸上自衛隊の駐屯地の真下となっているのです。

 

 この地震が人工地震であること、震源が自衛隊の駐屯地の真下であること、自衛隊の出動が異常に早かったこと、これらをトータルで勘案すると、

 

 この地震を引き起こした犯人は、自衛隊であると考えるのが妥当でしょう。

 

度重なるボーリングの謎

 ではこの地震が発生した時、自衛隊の駐屯地の地下で、いったい何が起こっていたのでしょうか。

 

 熊本地震が起こる1年前、2015年(平成27年)、なぜか九州一帯の自衛隊駐屯地で、一斉にボーリング調査が行われています。

 

 上の資料はその一部ですが、震源となった健軍駐屯地では3回、高遊原分屯地では実に5回ものボーリングが行われています。

 

 いったい何のために、九州一帯の自衛隊駐屯地の地下を掘ったのでしょうか。

 

放射線量の異常増加

 決定的なのは、地震直後の熊本一帯の、放射線量の異常増加です。

 

 熊本地震発生直後から、九州一帯の放射線量が一気に上昇しています。

 

 

 

 特に原発事故などがあったわけではありませんので、このレベルの放射線量の増加は、核爆発によるものと思われます。

 

 東日本大震災の時の、宮城県沖の放射線量の異常増加と同じ現象ですね。

 

 震源が自衛隊駐屯地の地下であったこと、地震発生前年に、自衛隊駐屯地で何度もボーリングが行われていたこと、地震発生後に周辺の放射線量が異常に増加していること。

 

 これらを考え合わせると、何が起こったのかは明らかです。

 

 この地震は、自衛隊駐屯地の地下を掘り、そこに核爆弾を詰めて、爆発させることによって発生したのです。

 

 熊本地震は、自衛隊による地下核実験によって、引き起こされた地震だったのです。

 

 

イーゴリ・トカレフ大佐の警告

 えっ、日本は核兵器保有してたっけ? ていうか、なんで日本を守ってる自衛隊が、自国民を殺すようなことをするの? なんてお考えの方も多いと思います。

 

 日本国が、ひそかに地下核実験を繰り返していることは、日本国民にはほとんど知られていませんが、周辺諸国には、しっかりばれているようです。

 

 2018年7月14日、ロシアの国防大臣(当時)のイーゴリ・トカレフ大佐は、メディアのインタビューに答えて、

 

 

 

「地震が多いので有名な東アジアの某国は、数十年にわたり、地震に偽装した地下核実験を繰り返している。気づかれていないと思ったら大間違いだ。ロシアはすでに証拠を握っている。おそらく他の国も気づいている。」

 

と、述べています。

 

 現役の国防大臣が、公開の記者会見でここまで言うくらいですから、おそらくロシアは、地震波を精密に解析して、日本で行われていたすべての地下核実験を把握しているものと思われます。

 

 ほかの周辺諸国も、口には出しませんが、だいたい事実関係を把握しているとみて間違いなさそうです。

 

 

日本は世界初の核兵器保有国

 そんなばかな、日本は世界で唯一の被爆国だし、平和憲法もあるし、非核三原則だってあるじゃないか、国民の知らない間に、いったいいつ核武装したんだ、なんてお思いの方もいるかもしれません。

 

 これらはもちろん、表面的な情報にすぎません。

 

 真実を詳細に調べていくと、日本こそが、ナチスドイツよりも、アメリカよりも早く、現文明で、最も早く核兵器の開発に成功した国だということがわかります。

 

 まあこのへんは、話が長くなりますので、興味のある方は、拙著『第二次世界大戦の真実』を、お読みになることをお勧めいたします。

 

www.hikaruland.co.jp

 

 

えびのヘリコプター墜落事件

 熊本地震が起きる1年前、九州で不可解な事件が起きています。

 

 それが、えびのヘリ墜落事件です。

 

 2015年2月12日、宮崎県えびの市において、海上自衛隊のOHー6DA 型ヘリコプターが、練習航行中に墜落しました。事故原因はパイロットの空間識失調とされています。

 

 これによって、ヘリに搭乗していた3人の自衛官が殉職しています。

 

 この事件にも、不可解な点がいっぱいです。

 

 

 

 まずは、このヘリには、機長と教官と訓練生の3人の自衛官が搭乗していましたが、操縦していたとみられる機長と教官はそれぞれ、飛行時間2500時間、4000時間オーバーのベテランパイロットでした。

 

 これだけの飛行経験のあるベテランパイロットが、そんなに簡単に、空間識失調なんて起こして、墜落するでしょうか。

 

 さらには、墜落したOHー6DA 型ヘリは、とても頑丈なヘリとして有名ですが、発見されたときは機体が粉々になり、原形をとどめていませんでした。

 

 さらに、発見された地点の山肌が深くえぐられ、谷のように変貌していました。

 

 普通にヘリが山に墜落しただけで、山肌がえぐり取られ、頑丈なヘリが粉々になるでしょうか。

 

 また、上の図の救助されたシーンの映像を見ると、救助隊がみな、防護服をつけています。

 

 これは原発事故が起きた時の、放射線の防護服です。

 

 なんでヘリで墜落した隊員を救助するのに、放射線の防護服が必要なのでしょうか。

 

 また航空アプリでヘリの航跡をたどってみると、このヘリは、鹿児島にある、九州電力川内原子力発電所から飛び立ったことがわかります。

 

 公式発表では、鹿児島県内の自衛隊基地から飛び立ったことになっていますが、発表とはだいぶ齟齬があるようです。

 

 これらの不可解な点をすべて説明するストーリーは、以下のようなものとなるでしょう。

 

 2015年2月15日、海上自衛隊OHー6DA 型ヘリは、川内原発で製造された核爆弾を積み込み、熊本県内の陸上自衛隊の駐屯地に向けて出発しました。

 

 熊本地震は、この時点で、引き起こされる予定だったのです。

 

 しかし、宮崎県えびの市上空で、積載していた核爆弾が誤爆し、ヘリごと吹き飛ばして粉々にし、山肌を大きく削り取る大爆発を起こしました。

 

 政府はマスコミに手を回し、この情報を隠蔽し、ヘリ事故として報道させました。

 

 救助隊は放射能汚染を避けるため、防護服に身を包み、速やかに粉々になった遺体とヘリを回収し、証拠の隠滅を行いました。

 

 えびのヘリ墜落事故の真実は、核爆弾の誤爆事故だったというわけです。

 

 

自衛隊のけじめ

 さらには熊本地震の1年後にも、不可解な現象が起きています。

 

 それは陸上自衛隊員の自殺者の増加です。

 

 

 熊本地震の1年後の2017年の自衛隊自殺者数を見ると、例年に比べて、陸上自衛官の自殺者数がとびぬけて多いことがわかります。

 

 例年40人前後で推移している陸上自衛官の自殺者数が、この年だけ61人となり、その後、また再び元の数に戻っています。

 

 海上および航空自衛隊員の自殺者数は、例年と変化がないようです。

 

 これは、私のブログで何度も言及している、「自衛隊のけじめ」と呼ばれる現象と思われます。

 

 自衛隊員は、上官の命令には絶対に服従しなければなりません。

 

 自国民の虐殺を命じられた自衛官は、粛々とその命令に従います。

 

 しかしその後、自国民殺害の責任を負わされ、処刑されるというわけです。

 

 処刑は隠密裏に行われ、自殺者として処理されます。

 

 つまり、熊本地震の地下核実験を駐屯地の真下で実行し、震度7の地震を発生させて、国民を虐殺した自衛官が、20人余りいたということです。

 

 

自衛隊基地を震源とする地震の頻発

 この後、2017年はしばらく鳴りを潜めていましたが、2018年に入ると、再び、自衛隊による核実験とみられる地震が頻発します。

 

 どれも、震源のごく近くに、自衛隊の駐屯地があるのが特徴です。

 

 まずは、2018年4月9日におきた、島根西部地震です。出雲地方を震源とするM6,1、最大震度5強の地震です。

 

 島根県は地震が少ないことで有名で、震度5を超える地震は、観測史上3回しかありません。

 

 はじめは大正時代、1922年の地震で、2回目は2000年。この地震が3回目となります。

 

 この地震の震源の近くには、陸上自衛隊出雲駐屯地があります。

 



 

 次は、2018年6月18日に発生した、大阪府北部地震です。 M6,1、最大震度6弱を記録しました。

 

 震源の付近には、陸上自衛隊八尾駐屯地をはじめとして、多数の自衛隊施設があります。

 



 

 

 最後は、2018年9月6日に発生した、北海道胆振東部地震です。この地震は、 M6,7で、熊本地震に引き続き、最大震度7を記録しました。

 

 

 

 この地震で、公式に震源とされているのは、上図の✕印の部分ですが、震度の分布とずれていますね。

 

 このころには、自衛隊駐屯地の真下が震源の地震が頻発していることが、SNS上で騒がれていましたので、わざと震源の位置をずらして発表したものと思われます。

 

 今まであげた地震も、微妙に位置がずれているものがありますが、起きた当初の発表では、ほぼ自衛隊基地の位置に一致していました。

 

 SNS上の騒ぎを受けて、あとから震源の地点を修正したものと思われます。

 

 この地震の真の震源は、上図の震度分布のど真ん中、安平(あびら)町のあたりと思われます。

 

 ここにはもちろん、陸上自衛隊安平駐屯地があります。 

 

 

地震攻撃の予行演習

 以上様々な事例を見てきましたが、なぜこの時期、なんのために、自衛隊による核実験が頻発していたのでしょうか。

 

 2011年に起きた東日本大震災は、すでに述べたように、ちきゅう号で海底に掘った穴に、5発の核爆弾を埋め込み、それが順次爆発したことによって引き起こされました。

 

 

shunsasahara.com

 

 この時使用された核爆弾は、自衛隊製で、製造に携わった自衛官15名が相次いで、粛清されていたことが分かっています。

 

 この地震を企画し、日本政府に命じたのはアメリカですが、アメリカ人は精密機器の製造が苦手で、ぴったり海底の穴に埋まる高性能な核爆弾なんて作れませんから、

 

核爆弾の製造そのものを、日本人にやらせたものと思われます。

 

 この核爆弾の製造に際しても、おそらく何度も、地震と称した地下核実験が行われていのでしょう。

 

 現時点で、記録が残っていないので、詳細は分かりませんが、これが、トカレフ大佐が述べていた「数十年にわたる核実験」なのでしょう。

 

 この時点ですでに、DSは、2020年からの新型コロナウイルスパンデミックと、それに伴って、さまざまな大災害を引き起こす計画を練っていたものと思われます。

 

 DSの計画では、2020年以降、駿河湾沖地震、南海トラフ地震、首都直下型地震を相次いで起こし、

 

 日本を壊滅させて、日本国民を恐怖のどん底に落とす計画だったようです。

 

 そのために必要な、大量の核爆弾を、この時期にあらかじめ用意していたものと思われます。

 

 おそらく、東日本大震災の時に使われたものよりも、さらに小型で高性能な核爆弾を開発し、それを大量生産しようとしたのでしょう。

 

 そのため、まずは2015年に、できたばかりの新型核爆弾の性能実験を、熊本でやろうとしたのです。

 

 しかしこれは、輸送中に誤爆してしまい、ヘリを粉々にし、山肌を大きく削る大爆発となりました。これが、えびのヘリ墜落事件です。

 

 そしてその1年後、2016年、今度はしっかり核爆弾の輸送に成功し、熊本で性能実験が行われました。それが熊本地震です。

 

 この時は、ばれないように、震度5程度でとどめる予定だったと思われます。

 

 しかし、新型核爆弾の性能が、予想以上のものとなり、震度7の大地震となって、多数の死者を出してしまいました。

 

 自衛隊の内規により、関係者は処刑され、自殺者の急増となったわけです。

 

 翌2017年は、しばらくおとなしくして、ほとぼりが冷めた2018年から、再び、新型核爆弾の性能実験を再開したと思われます。

 

 出雲、大阪の両地震では、震度調節がうまくいき、震度5や震度6でとどめることができ、実験は成功しました。

 

 最後に、人のいない十勝平野で、ど~んと爆発させ、実験は完了です。

 

 これが北海道胆振東部地震だったというわけです。

 

 これらの一連の地下核実験によって、自衛隊による新型核爆弾の性能実験が完了し、これを量産して、

 

 2020年からの、一連の人工地震の準備が完了したというわけです。

 

 それでは、2020年以降、実際にこれらの核爆弾はどう使われ、予定されていた地震はどう引き起こされたのでしょうか。