笹原シュン☆これ今、旬!!

日本で、世界で、今まさに旬のトピックスをお届けします。政治、経済、文化、世界情勢など、噛み砕いてわかりやすく解説していければと考えています。同時に、日本の在り方、進むべき道についても、示していければと思っております。

日米経済戦争

日米経済戦争24 安倍晋三は、誰から日本を取り戻したのか? GESARA が開く、明るい未来とは!?

日本を取り戻す!? 2009年9月から3年3か月続いた民主党政権でしたが、2012年12月16日の衆議院議員総選挙で、自民党が大勝し、再び自民党が政権に復帰しました。 12月26日、自民党総裁の安倍晋三が、内閣総理大臣に就任し、自民・公明両…

日米経済戦争23 菅直人は日本を救った英雄だった!? 国民に隠された民主党政権の知られざる真実とは?

政権交代の実現 小泉純一郎首相の下で行われた、2005年9月11日の衆議院議員総選挙、いわゆる郵政選挙以降、しばらくの間、衆院選は行われませんでした。 この間郵政民営化による郵貯、簡保の資金の強奪、および、リーマンショックによる家計金融資産…

日米経済戦争22 中川昭一はDSによって暗殺された!? 政治生命を断たれた、朦朧記者会見の真実とは?

朦朧記者会見の謎 みなさんは、中川昭一という政治家を、覚えておられますか。 2009年2月14日、当時財務大臣兼金融担当大臣だった、中川昭一は、ローマで行われた、G7の財務大臣・中央銀行総裁会議に出席していました。 会議終了後、ローマで記者会見…

日米経済戦争21 リーマンショックは、日本人の貯蓄を奪い取るための計画倒産だった!? 史上最大の金融崩壊の裏に隠されたカラクリとは?②

円キャリートレードのからくり 前記事において、リーマンショックの概要について説明させていただきました。 アメリカの不動産バブルにおいて、不動産そのものの値上がりだけではなく、住宅ローンを細分化して証券化し、それを売りさばいて空前の利益を上げ…

日米経済戦争20 リーマンショックは、日本人の貯蓄を奪い取るための計画倒産だった!? 史上最大の金融崩壊の裏に隠されたカラクリとは?①

アメリカの不動産バブル これまでの記事で、日本は80年代後半に不動産バブルを迎え、91年にバブルが崩壊、日本人が積み上げた富を軒並みアメリカDSに収奪されてしまったことを述べてきました。 そして収奪した側のアメリカでも、一足遅れて90年代後半…

日米経済戦争19 第2次 I T 戦争はプラットフォームをめぐる戦いだった!? DS に翻弄された天才技術者、金子勇の運命とは?

プラットフォームの謎 現在、インターネット上にはさまざまなSNS が存在し、スマホやPCを用いて、多くの人に利用されています。 これらSNS の原型は90年代後半に開発されていましたが、現在のような形になったのは、2004年~2006年にかけてです。 …

日米経済戦争18 堤義明は、日本収奪のためのいけにえとされた!? 日本DSと運命を共にした、西武王国の繁栄と滅亡とは?②

プロ野球への進出 堤義明が次に手掛けたのは、プロ野球球団の買収です。 欧米では、野球やサッカーのチームを所有する経営者は、ワンランク上の評価を受けるようになっていましたので、義明もそれにあやかろうというわけです。 当時の日本では、サッカーは全…

日米経済戦争17 堤義明は、日本収奪のためのいけにえとされた!? 日本DSと運命を共にした、西武王国の繁栄と滅亡とは?①

世界一の大富豪 堤義明 みなさんは世界一の大富豪といえばだれを思い浮かべるでしょうか? ビル・ゲイツ?ジョージ・ソロス?ウォーレン・バフェット? 現在ではGAFAと呼ばれるアメリカの巨大企業の経営者がまず思い浮かぶと思います。 しかし、世界の大富豪…

日米経済戦争16 日本国民を非正規労働者に!? 竹中平蔵が提唱した「貧乏になる自由」とは?

竹中平蔵の政策 小泉政権時代に忘れることができないのは、小泉純一郎のブレーンを務めた、竹中平蔵という人物です。 竹中は、グローバルDSの代理人として、小泉内閣の大臣を歴任し、経済に弱かった小泉純一郎を裏から操り、日本国民から収奪するための、さ…

日米経済戦争15 小泉劇場ついに開幕!! 国民の熱狂のもとに、郵貯・簡保の富はDSの手に落ちた?

小泉劇場の開幕 2005年8月8日、郵政民営化関連法案の参議院での否決を受けて、小泉純一郎首相は衆議院を解散しました。 小泉首相はこの解散を「郵政解散」と銘打ち、解散後の総選挙を、郵政民営化の賛否を問う選挙とすることを明確に打ち出しました。 …

日米経済戦争14 日本人が蓄えた富、1200兆円を強奪せよ!! 郵政民営化の陰に隠されたDSのプランとは!?

郵政民営化の裏にあるもの 2001年4月26日、小泉純一郎が内閣総理大臣となりました。 就任早々小泉首相は、かねてからの主張である、郵政民営化に向かって邁進します。 小泉首相の主要政策であり、トレードマークでもある、郵政民営化ですが、これは1…

日米経済戦争13 日本政府は法人となった!? 初のグローバルDS総理、森喜朗の功罪とは?

密室での後継者選び 2000年4月2日、小渕恵三首相が脳梗塞で緊急入院しました。 翌4月3日、自民党では、森喜朗(幹事長)、青木幹雄(官房長官)、村上正邦(参院議員会長)、野中広務(幹事長代理)、亀井静香(政調会長)の5人が、 赤坂プリンスホ…

日米経済戦争12 DSに盾ついた首相は暗殺される!? 最後の民衆派、小渕恵三の日本経済復興作戦の真実とは?

平成おじさんから総理大臣へ 1998年の参議院選挙で、自民党は45議席へと大幅に議席を減らす大敗を喫しました。 これを受けて、橋本龍太郎内閣は総辞職。 7月30日、橋本内閣で外務大臣を務めていた、小渕恵三が首相に就任しました。 小渕恵三は、1…

日米経済戦争11 まんまとDSに騙された指導者!? 橋本龍太郎の功罪とは?

橋本龍太郎は民衆派? 以上のように、1990年に崩壊したバブル経済によって、日本経済は大きなダメージを負いましたが、95年までにはそのショックはある程度癒え、小康状態となりました。 それに最後の一撃を加え、日本経済を完全崩壊に導いたのが、消…

日米経済戦争10 日本経済の崩壊は、橋本龍太郎政権のもとで起きた!? 消費税増税の真実とは?

非自民連立政権の時代 1993年8月9日、日本新党の細川護熙を首相とする、非自民連立政権が成立しました。 成立はしたものの、この政権は、8つの党・会派の寄せ集め政権であり、政権内部の紛争が絶え間なく起こり、細川自身の佐川急便疑惑などもあって、…

日米経済戦争9 バブルを境に、国民生活は一変した!? 史上最大のショックドクトリンの効果とは?

バブル崩壊による国民生活の変化 バブル崩壊による経済システムの激変に伴い、国民生活も大きな変化を遂げました。 逆に言うと、国民生活をDSの望む形に変化させるために、バブル崩壊が計画されたといったほうがいいかもしれません。 ここでは、バブル崩壊に…

日米経済戦争8 失われた30年はここから始まる!? バブル崩壊の真実とは?

バブル崩壊の始まり 1985年のプラザ合意の直後からはじまったバブル景気は、89年に最高潮を迎えます。 東京23区の地価は、以前の7倍に到達し、株価も、1989年12月29日の年末大納会の時点で、日経平均株価38916円という、過去最高の価格に…

日米経済戦争7 宮崎勤事件は、消費税導入のスピンだった!? 国民の目から隠された消費税導入の真実とは?

消費税の導入 1989年の年明け早々の1月7日、昭和天皇が崩御しました。 これをもって昭和時代は終了し、新しい年号、平成が始まりました。 テレビで平成への年号変更を告げた官房長官の小渕恵三が、「平成おじさん」として有名になります。 この年の4…

日米経済戦争6 行政改革という名の罠!? バブル景気の真っ最中に、日本国民から収奪するための仕掛けが着々と進んでいた?

行政改革の試み ここで少し時をさかのぼり、中曽根内閣に至る少し前から始まった、行政改革の流れについてみてみましょう。 80年代初頭にマスコミがDSの手に落ち、マスコミ各社がDSのプランに沿ったプロパガンダ機関と化してしまったことは、「北朝鮮の真…

日米経済戦争5 バブル景気はなぜ起きたのか!? プラザ合意と円高の真実とは?

プラザ合意の締結 1985年8月12日の日本航空123便撃墜事件から、一か月ほどたった、9月22日、ニューヨークのプラザホテルにて、アメリカ・イギリス・西ドイツ(当時)・フランス・日本の先進5か国による蔵相・中央銀行総裁会議が開かれました。…

日米経済戦争4 日本航空123便撃墜事件が与えた影響。日本政府はディープステートに逆らうことができなくなった!?

ビル・ゲイツ、野望の達成 123便撃墜事件の恩恵を最も受けたのは、もちろんマイクロソフト社のCEO(当時)、ビル・ゲイツです。 難航していたウインドウ型のOSの開発が、一部トロンのプログラムを取り入れることであっさり終了し、85年11月、マイクロ…

日米経済戦争3 自衛隊特殊部隊によって、徹底的な証拠隠滅がはかられた!? 日本航空123便墜落事件の真実②

徹底的な証拠隠滅 前記事で述べたように、1985年8月12日18時12分に羽田空港を飛び立った、日本航空123便は、18時56分、アメリカ軍によって撃墜されました。 相模湾で、海上自衛隊護衛艦まつゆきの、対艦ミサイルが尾翼に命中、航空自衛隊のF-4ファントムに誘…

日米経済戦争2 日本航空123便は、アメリカ軍+自衛隊によって撃墜されていた!? 日本航空123便墜落事件の真実①

日本航空123便墜落事件 1985年8月12日、乗員乗客524人を乗せた、日本航空123便が、墜落しました。 事件の概要は、ウィキペディアによると、 123便は東京国際空港(羽田空港)発大阪国際空港(伊丹空港)行きの定期旅客便で、伊豆半島南部の…

日米経済戦争1 日米戦争第2ラウンドは、経済における主導権争い!? いかにしてディープステートは日本の富を奪い取ったのか。

日本の復興 1945年、大東亜戦争において、日本はアメリカに降伏しました。 その後、日本軍によって宗主国の軍が駆逐された、アジアの植民地では、独立戦争が勃発し、植民地が次々と独立を果たしていきました。 これらの戦争では、現地に残る旧大日本帝国陸軍…