日米経済戦争
小泉劇場の開幕 2005年8月8日、郵政民営化関連法案の参議院での否決を受けて、小泉純一郎首相は衆議院を解散しました。 小泉首相はこの解散を「郵政解散」と銘打ち、解散後の総選挙を、郵政民営化の賛否を問う選挙とすることを明確に打ち出しました。 …
郵政民営化の裏にあるもの 2001年4月26日、小泉純一郎が内閣総理大臣となりました。 就任早々小泉首相は、かねてからの主張である、郵政民営化に向かって邁進します。 小泉首相の主要政策であり、トレードマークでもある、郵政民営化ですが、これは1…
密室での後継者選び 2000年4月2日、小渕恵三首相が脳梗塞で緊急入院しました。 翌4月3日、自民党では、森喜朗(幹事長)、青木幹雄(官房長官)、村上正邦(参院議員会長)、野中広務(幹事長代理)、亀井静香(政調会長)の5人が、 赤坂プリンスホ…
平成おじさんから総理大臣へ 1998年の参議院選挙で、自民党は45議席へと大幅に議席を減らす大敗を喫しました。 これを受けて、橋本龍太郎内閣は総辞職。 7月30日、橋本内閣で外務大臣を務めていた、小渕恵三が首相に就任しました。 小渕恵三は、1…
橋本龍太郎は民衆派? 以上のように、1990年に崩壊したバブル経済によって、日本経済は大きなダメージを負いましたが、95年までにはそのショックはある程度癒え、小康状態となりました。 それに最後の一撃を加え、日本経済を完全崩壊に導いたのが、消…
非自民連立政権の時代 1993年8月9日、日本新党の細川護熙を首相とする、非自民連立政権が成立しました。 成立はしたものの、この政権は、8つの党・会派の寄せ集め政権であり、政権内部の紛争が絶え間なく起こり、細川自身の佐川急便疑惑などもあって、…
バブル崩壊による国民生活の変化 バブル崩壊による経済システムの激変に伴い、国民生活も大きな変化を遂げました。 逆に言うと、国民生活をDSの望む形に変化させるために、バブル崩壊が計画されたといったほうがいいかもしれません。 ここでは、バブル崩壊に…
バブル崩壊の始まり 1985年のプラザ合意の直後からはじまったバブル景気は、89年に最高潮を迎えます。 東京23区の地価は、以前の7倍に到達し、株価も、1989年12月29日の年末大納会の時点で、日経平均株価38916円という、過去最高の価格に…
消費税の導入 1989年の年明け早々の1月7日、昭和天皇が崩御しました。 これをもって昭和時代は終了し、新しい年号、平成が始まりました。 テレビで平成への年号変更を告げた官房長官の小渕恵三が、「平成おじさん」として有名になります。 この年の4…
行政改革の試み ここで少し時をさかのぼり、中曽根内閣に至る少し前から始まった、行政改革の流れについてみてみましょう。 80年代初頭にマスコミがDSの手に落ち、マスコミ各社がDSのプランに沿ったプロパガンダ機関と化してしまったことは、「北朝鮮の真…
プラザ合意の締結 1985年8月12日の日本航空123便撃墜事件から、一か月ほどたった、9月22日、ニューヨークのプラザホテルにて、アメリカ・イギリス・西ドイツ(当時)・フランス・日本の先進5か国による蔵相・中央銀行総裁会議が開かれました。…
ビル・ゲイツ、野望の達成 123便撃墜事件の恩恵を最も受けたのは、もちろんマイクロソフト社のCEO(当時)、ビル・ゲイツです。 難航していたウインドウ型のOSの開発が、一部トロンのプログラムを取り入れることであっさり終了し、85年11月、マイクロ…
徹底的な証拠隠滅 前記事で述べたように、1985年8月12日18時12分に羽田空港を飛び立った、日本航空123便は、18時56分、アメリカ軍によって撃墜されました。 相模湾で、海上自衛隊護衛艦まつゆきの、対艦ミサイルが尾翼に命中、航空自衛隊のF-4ファントムに誘…
日本航空123便墜落事件 1985年8月12日、乗員乗客524人を乗せた、日本航空123便が、墜落しました。 事件の概要は、ウィキペディアによると、 123便は東京国際空港(羽田空港)発大阪国際空港(伊丹空港)行きの定期旅客便で、伊豆半島南部の…
日本の復興 1945年、大東亜戦争において、日本はアメリカに降伏しました。 その後、日本軍によって宗主国の軍が駆逐された、アジアの植民地では、独立戦争が勃発し、植民地が次々と独立を果たしていきました。 これらの戦争では、現地に残る旧大日本帝国陸軍…