朦朧記者会見の謎
みなさんは、中川昭一という政治家を、覚えておられますか。
2009年2月14日、当時財務大臣兼金融担当大臣だった、中川昭一は、ローマで行われた、G7の財務大臣・中央銀行総裁会議に出席していました。
会議終了後、ローマで記者会見を開いたのですが、そこで中川大臣は、朦朧とした、ろれつの回らない口調で、何を言っているのかわからない会見をしてしまいました。
当時の会見の模様は、こんな感じです。
確かに何を言っているのかわかりませんね。
これについて、当時、酒に酔って酩酊していたのではないかと言われ、世界各国から朦朧記者会見として批判を浴びました。
帰国後、中川大臣は、マスコミからの批判を受け、緊急記者会見を開きましたが、野党5党からの問責決議を受け、その日のうちに財務大臣を辞任しました。
つづく、8月30日の衆議院議員選挙では落選してしまい、失意のうちに、10月4日、この世を去りました。
この酩酊記者会見は、現在でもさまざまな推測が飛び交い、SNS上で議論が行われています。
中川昭一は、なぜこのタイミングで死んだのでしょうか。その裏にはいったいどのような事情が隠されていたのでしょうか。
真の保守政治家、中川昭一
中川昭一は、1953年、後に自民党の衆議院議員となった、父、中川一郎の長男として生まれました。
麻布中高、東大法学部を経て、卒業後、日本興業銀行に勤務します。
1983年、衆議院議員だった父、中川一郎の死去に伴い、北海道5区から衆院選に出馬し、初当選を果たします。
同じ選挙で、中川一郎の秘書だった、鈴木宗男が、同じ選挙区から出馬し、ともに当選を果たしています。
小渕内閣で農林水産政務次官となったのを皮切りに、その後の歴代内閣で、農林水産大臣、財務大臣、金融改革担当大臣を歴任しました。
靖国神社には毎年欠かさず参拝し、日本の核武装を推進する論者として知られていました。
安倍晋三からは兄貴分として慕われ、親しみを込めて「昭一さん」と呼ばれていました。
アメリカに追従する政治家が多い中で、アメリカに対して明確に「ノー」が言える、数少ない保守政治家として、国民の支持を集めていました。
リーマンショックとアメリカの要求
2008年、リーマンショックが発生し、世界中が金融崩壊の波に飲み込まれます。
このとき中川昭一は、麻生太郎内閣の財務大臣兼金融担当大臣を務めていました。
リーマンショックについては、前記事および前々記事で詳しく解説した通りです。
これは、欧米のDSが日本の預金資産を強奪するための、計画倒産です。
そのリーマンショックの後、アメリカが、日本に対して、金融崩壊後の経済援助を求めてきたのです。
盗人猛々しいにもほどがあるというところでしょうか。
これに対して、財務大臣中川昭一は、
「日本はアメリカのATMじゃない!!」と一喝し、援助を拒否します。
それならば、ということで、今度は、国際通貨基金(IMF)を通じて、リーマンショックで金融崩壊した発展途上国を援助するため、日本に1000億ドルの拠出金を出してほしい、と要求してきます。
IMFは、いちおう公的機関ですし、外交ルートでアジア・アフリカ諸国から、日本に対する援助の要請が入ってきていました。
みんな困っているようだし、これくらいならいいかな、でも日本もリーマンショックでお金がないしなぁ、などと考えた中川昭一は、
ここですべての要求を満たす、起死回生の妙案を思いついたのです。
世界が称賛した「中川構想」
それは、IMFにドルを拠出する代わりに、日本が持っているアメリカ国債を拠出する、という案です。
当時の日本は、600兆円ものアメリカ国債を抱えており、これを売ることもできず、塩漬けになっていたのです。
このアメリカ国債を1000億ドル(約10兆円)分、IMFに拠出し、各国はこの国債を借り受けてこれを担保にしてドルを借りれば、1000億ドル援助したのと同じ効果が望めるわけです。
日本としては、塩漬けになっていて使い道のないアメリカ国債を貸し出すだけで、1円も新たに支出することなく、発展途上国への支援ができます。
さらに貸し出し手数料を取ることによって、日本に利益が入ってきます。
発展途上国に財政援助をして、一円も支出することなく、利益まで得られるという、素晴らしい構想ですね。
2008年10月に東京で行われた、G7先進7か国財務大臣・中央銀行総裁会議にて、中川財務大臣は、国際通貨会議(IMF)に発展途上国向けの新たな緊急融資制度を設け、
そこに各国がアメリカ国債を拠出して、途上国の救済を行うことを提案しました。
これは「中川構想」と呼ばれています。
中川構想は、G7で大歓迎され、その後、世界中の各国がこれを採用しました。
特にブラジルを中心とする中南米国家は、中川構想を歓迎することを公式に表明し、アメリカ国債の拠出および、援助の受け入れを要請しています。
当のIMFも中川構想を歓迎し、さっそく日本からIMFに対して、1000億ドルのアメリカ国債が拠出されました。
この資金を使って、IMFによって、ウクライナ、ベラルーシ、パキスタンが救済されています。
この成功によって、中川構想は、世界中の国々から称賛を浴びることとなります。
自民党の元金融担当大臣、山本有二氏の質問に答える形で、中川昭一自身が中川構想について解説する動画が残っています。
質問者の山本議員が、中川構想が世界に称賛されている、と誇らしげに語る姿が印象的ですね。
ドルの逆流
各国で使い道がなくなっているアメリカ国債を用いて、発展途上国を救済する「中川構想」は、実質的に新たな支出なしで。発展途上国を支援できる夢のような政策です。
これによって、世界の197か国中196か国は、大きな利益を受けます。
しかし、ただ一国、致命的な不利益を被る国が存在します。
それはもちろん、アメリカ合衆国です。
ここであらためて、中川構想を、アメリカDSの視点で見てみましょう。
何度も述べたように、アメリカ国内にはこれといった産業はありません。
各国間の石油取引や貿易、海外送金に際して、強制的にドルを使わせ、取得したドルでアメリカ国債を買わせて、ドルをアメリカ国内に還流させ、それで繁栄を謳歌しているわけです。
各国で経済活動をするたびに、アメリカにはドルがたまり、各国にはアメリカ国債がたまっていきます。
このアメリカ国債を売却しようとすると、アメリカ軍が攻め込んできてつぶされます。
つまり、各国が持っているアメリカ国債を使い道のないまま保持させておくことで、アメリカに富が集積されていくわけです。
このアメリカ国債を、IMF拠出という形で使われてしまったらどうなるでしょうか。
援助を受けた国は、アメリカ国債を担保にドルを借ります。この時点でドルはアメリカから各国に逆流しています。
被援助国が借りたドルを返さなくても、アメリカ国債を手放すだけです。
そうすると、アメリカ国債がアメリカに戻り、ドルが各国に残ります。
これを世界中の国が一斉にやったらどうなるでしょうか?
アメリカから一気にドルが流出し、アメリカの経済は一瞬にして崩壊します。
中川構想は、アメリカからドルを逆流させ、アメリカ国債をアメリカに戻す、
つまりアメリカによる、各国からの富の強奪をキャンセルし、アメリカが奪った富を各国に戻す、強力な武器となるのです。
アメリカDSに言わせると、
「中川構想が実現されたら、せっかく俺たちが苦労して各国から強奪した富が、各国に返還されてしまうじゃないか。そんな横暴は許さん」
ということになるわけです。
どっちが横暴だよ、と思わず突っ込みたくなりますが、これがDSの論理なのです。
中川構想発表後、しばらく様子見をしていたアメリカDSですが、その後、この構想が世界中から称賛され、
ブラジル、ロシア、インドなどのBRICS 諸国がこれに追随しようとした瞬間、素早く動きました。
朦朧記者会見の真実
アメリカのインチキ金融システムの元締め、世界銀行総裁のロバート・ゼーリックが、日本のDS工作員に命じ、中川昭一の失脚工作を行わせました。
舞台に選ばれたのは、2009年2月14日、G7の財務大臣・中央銀行総裁会議が行われた、ローマです。
この会議において、午前中、中川昭一は、G7の首脳に対して、ふたたび「中川構想」を説明し、それについての協力を呼びかけます。
演説は大成功し、良い気分のまま、午後の会議に向けて中川は、
宿泊先のザ・ウェスティン・エクチェルシオール・ローマホテルの1階の、レストラン「ドネイ」で気心の知れた仲間たちとランチを取ることにしました。
このランチに同席したのは、麻布高校の同級生で財務省国際局長(当時)の玉木林太郎と、読売新聞の政治部記者(当時)、越前谷知子です。
中川がトイレに立ったすきに、この2人が共謀して、中川のワインに睡眠薬を入れました。
実際に薬を入れた実行犯は、越前谷知子といわれています。
これによって、強力な眠気に襲われた中川昭一ですが、そのまま午後の記者会見に臨むことになりました。
その時記者会見に同席したのが、財務省の篠原尚之財務官(当時)です。
この記者会見は、わざわざ財務大臣である中川が臨席しなくてもよかったのですが、ふらふらになった中川にはっぱをかけて、強引に同席させたのが篠原です。
そして、冒頭に述べた朦朧記者会見となってしまい、中川は辞任に追い込まれたというわけです。
朦朧記者会見、その後
中川の辞任後、アメリカDSの画策によって、すぐに中川構想は白紙撤回されました。
IMFにアメリカ国債を拠出することは禁止され、各国は今まで通り、ドルを拠出しなければならなくなったのです。
これによって、ドルの逆流は止まり、アメリカ経済と、アメリカDSは、引き続き安泰となってしまったのです。
中川構想は、当時誰も思いつかない画期的な構想でした。
中川昭一自身は、この構想を使えば、一切の追加支出なしで、途上国を援助できる、ぐらいに考えていたのかもしれません。
しかしその構想は、ドルの流れを逆流させ、アメリカが強奪した資金を返還させる強力な効果を持っていたのです。
全世界の国が中川構想に従って行動すれば、アメリカに強奪された資金をすべて取り戻せる可能性すらあったわけです。
DSを一気に瓦解させる構想を考え、実行した、中川昭一は、またしてもDSの手によって、葬り去られてしまい、構想は白紙に戻されてしまったというわけです。