笹原シュン☆これ今、旬!!

日本で、世界で、今まさに旬のトピックスをお届けします。政治、経済、文化、世界情勢など、噛み砕いてわかりやすく解説していければと考えています。同時に、日本の在り方、進むべき道についても、示していければと思っております。

コロナ後の日中関係4 中国の太平洋への進出

太平洋への進出

ソロモンへの道

 

 

 さらに中国は、2019年9月、同様の手口を用いてソロモン諸島のツラギ島の75年間にわたる独占開発権を手にしました。これは要するに、ツラギ島を領土として割譲したということです。

 

 ツラギ島なんて聞いたことないぞ、どうせ何にもない太平洋の小島だろ。そんなとこ獲ってどうするんだ?とお思いの方もいると思います。

 

 ツラギ島は確かに何もない小島かもしれません。しかしここは太平洋戦争以来の軍事的な要衝なのです。

 

大日本帝国の軍事拠点

 

 

 ソロモン諸島ニューギニア島の東、オーストラリアの北東に位置する島国です。首都ホニアラは、太平洋戦争最大の激戦地、ガダルカナル島にあります。

 

 ツラギ島は、このガダルカナル島のすぐ北にある小島です。

 

 大日本帝国は、1942年6月のミッドウェー海戦によって、空母4隻を失う大敗北を喫し、ミッドウェーに代わる太平洋における新たな軍事拠点を探しました。

 

 そして選んだのがここ、ソロモン諸島です。中心となるガダルカナル島は広い平地が広がっているので飛行場に最適である、その北のツラギ島は天然の良港で、軍港に最適である、という見立てです。

 

 そしてツラギ島に軍港を建設し、艦隊を駐留させ、ガダルカナル島に飛行場を建設している途中で、アメリカ軍に見つかってしまいます。

 

太平洋戦争の帰趨を決する戦い

 

 

 1942年8月7日、アメリカ艦隊は海兵隊3000人を動員し、ツラギ島およびガダルカタル島に強襲上陸を試みます。

 

 ツラギ島はあっさり占領され、その後アメリカ軍はガダルカナル島に上陸、日本軍はガダルカナル島西部山岳地帯に逃げ込み抗戦を続けます。

 

 日本軍はツラギ島奪還のため、何度も艦隊を送り込みますがアメリカ軍に撃退され(ソロモン海戦)、ガダルカナル島は孤立しましたが、そこに残る日本軍はなんと翌1943年2月7日まで、半年間にわたってアメリカ軍と死闘を繰り広げたのです。

 

 結局アメリカ軍の死者7000人、日本軍の死者30000人余りの双方莫大な犠牲のもとに日本軍は撤退し、この後アメリカは反撃に転じ、フィリピンを再占領し、日本本土に向けた空襲が始まるのです。

 

 この戦いは太平洋戦争の帰趨をかけた戦いだったといえるでしょう。

 

中国の魔の手はオーストラリア沖までのびる

 

 

 大日本帝国アメリカのハワイに対抗して、太平洋の覇権をかけて連合艦隊を集結させた軍港、それがツラギ島なのです。

 

 この島は今でも軍港に最適な港を備えています。この島の独占開発権を得た中国は、近い将来、ここに軍港を建設し、中国海軍の拠点とするのは確実と思われます。

 

 中国は1974年、西沙諸島の戦いでベトナムから西沙諸島を奪って軍港、および飛行場を建設し、88年、スプラトリー沖海戦でまたもやベトナムから南沙諸島の一部を奪い、94年にフィリピンからミスチーフ礁をかすめ取って、これらの地域に軍事拠点を建設しています。(詳しくは、拙著

 

 をご参照ください)。

 

 この時点で中国の勢力はフィリピン西岸まで伸びていたわけです。それが人口移動と経済力による債務の罠を用いて一気にオーストラリアの北東まで勢力を伸ばすのに成功してしまったというわけです。