笹原シュン☆これ今、旬!!

日本で、世界で、今まさに旬のトピックスをお届けします。政治、経済、文化、世界情勢など、噛み砕いてわかりやすく解説していければと考えています。同時に、日本の在り方、進むべき道についても、示していければと思っております。

コロナ後の日中関係6 イタリアの運命は?

イタリアの運命は?


 中国の魔の手はEU内部にも及んでいます。特に中国への経済的依存が大きいのはイタリアです。

 

 イタリアは2019年3月23日、中国との間で「一帯一路」に関する覚書を締結しました。ついにG7の一角が、中国の経済圏に入ったといえます。

 

 イタリア国内の中国人は公称で30万人、不法入国者を含めると40万人に及ぶといわれています。彼らは北部の工業地帯を中心にコミュニティーを作って固まっています。その中心は、ロンバルディア州の州都であるミラノです。

 

中国のイタリア占領計画

 

 

 ご存じの通り至り派は北部と南部で経済格差が開いており、農業中心の南部に対して、工業中心の北部が経済的優位を保っています。

 

 この北部地域に中国人が移民を始めたのは1980年代からです。

 

 1975年の時点ではイタリア国内の中国人は400人程度でした。80年代までの中国系移民は主に南部農業地域で働く農業労働者でした。手作業で長時間の畑仕事を行う労働者です。

 

 この時代のイタリアは経済発展が遅れており、移民をヨーロッパ各地に送り出す側の国だったのです。

 

 その後、80年代の経済発展に伴い、80年代半ばにイタリアは各国からの移民及び資本を受け入れる政策に転じます。

 

 これをきっかけに中国から大量の移民が流入します。これらの移民は主に北部の工業地帯に流入していきました。移民の数は90年前後に1万人を突破します。

 

 80年代なかば以降大量に流入した中国人は、アパレル系の服飾工場の労働者が主でした。

 

 イタリアには世界的に有名なアパレル企業がたくさんあります。グッチ、フェンディ、ヴァレンティノ、アルマーニ・・・なんてみなさん聞いたことありますよね。

 

 世界の多くのアパレル企業が生産拠点を外国に移している中で、イタリアの企業は自国の国内で生産し、世界に向けて輸出する姿勢を貫いています。

 

 その姿勢自体は立派なのですが、これらの企業も、もし国内で安い賃金で働いてくれる労働者がいたとしたら、彼らを雇うことでしょう。それが中国人の移民だったのです。

 

 イタリアのアパレルメーカーは大量に流入する中国人を安い賃金でイタリア国内の工場で働かせ、利益を得るようになったというわけです。

 

 中国人はひとたび外国で成功すると、母国から一族郎党を呼び寄せます。呼び寄せられた人たちは、アパレル工場で働いたり、そこで働けなかった人たちは、イタリア国内のいわゆる汚れ仕事を引き受けることになります。

 

 ごみ処理工場の労働者や、大理石の加工業、皮革加工業、など、イタリア人がやりたがらない仕事にどんどん中国人が進出していきました。

 

 この中で成功した中国人は、自分の工場を持つようになりました。

 

 また2000年前後から、イタリアのアパレル業界の世界的な競争力は低下し、服飾工場がどんどんつぶれていきました。これを中国人が買い取って、皮革加工工場にしていったのです。

 

 イタリアにはやはり世界に冠たる皮革製品のプランドが多数あります。プラダ、フェラガモ、アルマーニ、グッチ、ディーゼル・・・などなどです。

 

 中国人はこれらの有名ブランドのバッグの制作を請け負う工場を自分で経営し始めたというわけです。服よりバッグのほうが儲かるということでしょうか。

 

中国資本によるイタリア支配

 

 

 それと同時に、イタリア国内への中国からの資本投資も活発になります。中国国内の港や鉄道、橋や道路などが中国からの借款で作られ、イタリア国内の企業も次々に中国企業(もちろん国営)に買い取られていきます。

 

 気が付いてみれば、イタリア政府は中国への借金で首が回らなくなり、グッチやプラダの製品は中国人が経営する工場で生産され、インフラは中国資本で整備され、バーやレストラン、ごみ処理工場やクリーニング店、岩石加工などは、中国人たちの手で運営されるようになってしまっていたのです。

 

 こうなってしまうともはや、国内にいる中国人たちを追い出すことはできません。

 

 そんなことをしたら、有名ブランドの服やバッグは生産が停止し、ごみ処理やクリーニングなどのサービスが機能を停止してしまいます。

 

 というわけで、イタリアは中国の影響を排除することはもはや不可能となってしまい、公式に一帯一路を受け入れざるを得なくなってしまったわけです。