笹原シュン☆これ今、旬!!

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二次大戦の真実2 日本は第二次世界大戦に勝利していた!? 植民地主義とは何か。

大航海時代以降の植民地主義

 15世紀にはじまった大航海時代以降、ヨーロッパの国々は、次々にアフリカ、アジア、南北アメリカ大陸に進出していきました。

 

 この時代の主役をになったのは、スペインとポルトガルです。スペインは1492年のコロンブスによるアメリカ大陸到達以降、主に南北アメリカ大陸を侵略し、ポルトガルは、ブラジルを侵略し、アフリカ南端を回ってアジア各地に拠点を作っていきました。

 

 18世紀にはじまった産業革命によって、ヨーロッパ諸国は経済的、軍事的に大きな発展を遂げ、これ以降、イギリスやフランス、オランダ、ドイツ、デンマークなども参加して、次々にアフリカ、アジア、南北アメリカに進出、現地の国々を侵略して、植民地にしていきます。

 

 19世紀半ば、日本では幕末の頃、西洋諸国における植民地分割はほぼ終わり、まったく植民地化されていないのはタイと日本だけ、清はイギリス、フランス、ドイツに食い荒らされ、朝鮮は清の属国、あとはどこかの植民地、という状態でした。

 

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19世紀半ばのアジア

 ちょうどこんな感じですね。

植民地支配の現実

 西洋諸国による植民地支配は、現代の視点から見ると想像できないぐらい、苛烈な収奪が行われていました。収奪の手口は次のようなものです。

 

 まずは現地に商館を構え、貿易商人とキリスト教の宣教師を送り込みます。貿易をしつつキリスト教の布教をします。

 

 キリスト教は一神教で、イエス以外の神を認めず、現地の宗教や文化を見下した態度をとるので、だいたい現地で反感を買い、弾圧されます。そして宣教師か、現地の商人が襲われたり殺されたりする事件が起きます。

 

 これを理由に、現地のキリスト教徒を守るためと称して、本国から艦隊を派遣します。本国の艦隊は、宣教師を殺した犯人の引き渡しを要求し、これが拒絶されると艦砲射撃を開始します。

 

 ついでにそのままその国に攻め込み、現地の政府を滅ぼして、条約を結びます。この条約にはだいたい次の3つがセットで入っています。それは

 

 1.領事裁判権

 2.関税自主権の放棄

 3.最恵国待遇

 

です。そして現地に総督を置き、現地政府を監督し、軍隊を常駐させて監視を行います。これ以降は、現地政府は宗主国の総督から言われたことをそのまま実行するようになります。

 

 その後、植民地では、現地の総督が指示する作物を作らなくてはなりません。これはだいたいヨーロッパにもっていって高く売れる香辛料や工芸品、または綿花などの工業原料です。

 

 工業原料は本国に運ばれ、機械化された工場で商品化され、製品は植民地で販売されます。現地で住民を強制労働させ、タダ同然に買いたたいた原料を、製品にして高い値段で販売し、宗主国は2重にぼろもうけです。

 

 関税自主権がないので、関税をかけることができず、この横暴を止める手立てはありません。

 

 住民が反乱を起こすと、軍隊で鎮圧し、文句を言うと銃で撃ち殺します。領事裁判権があるので、現地の法律で裁くことができず、殺人も略奪もやり放題です。

 

 また最恵国待遇があるので、現地の政府が他の西洋諸国に何かの特権を与えると、自動的にそれが自国にも適用されます。

 

 商品作物を強制的に栽培させられた現地の農園は、食料を作ることができないので、だいたい食糧不足で餓死者が出ます。しかしそんなことは知ったことではありません。

 

 大量の餓死者をそのまま放置し、強制労働を続けさせ、反乱がおこると軍隊で皆殺しです。

 

 人権も何もあったものではありませんね。

 

植民地支配の正当化

 宗主国と植民地の関係は、完全な支配・被支配の関係です。本国の指令を受けた総督が現地政府に指示を出し、現地人の官僚を使って植民地を思いのままに統治します。

 

 宗主国から植民地に資金が流れることはなく、植民地の富は一方的に宗主国に収奪されます。

 

 植民地の住人が宗主国に渡航することは原則としてできません。

 

 植民地の文化や、宗教、慣習は時代遅れのものとみなされ、宗主国によって破壊され、西洋の文化やキリスト教を受容させられます。

 

 現地の人々は人間扱いされず、食料不足で餓死しても一顧だにされることはありません。

 

 現代のわれわれから見るととんでもない蛮行ですが、なんでこのような行為が全世界的に堂々と行われていたのでしょうか?

 

キリスト教と啓蒙思想

 一番大きな要素は、一神教であるキリスト教の影響でしょうか。キリスト教は「汝の隣人を愛せよ」と説き、すべての人が神のもとに平等であると説きます。

 

 しかしこの「すべての人」というのは、キリストを信じるすべての人のことです。キリストを信じていない人は、愛すべきすべての人に含まれていないのです。

 

 しかも神はイエスキリストただ一人だけです。ということは、イエス以外の神を信じている人々は、本当の神を信じていない、すなわち悪魔を信じていることになります。

 

 キリスト教徒から見ると、アジアやアフリカの異教徒は悪魔を信じる異邦人であり、愛すべき対象ではなく、殺しても何の問題もないことになります。

 

 それどころか、キリスト教徒が彼らを支配し、真の神であるイエスキリストを強制的に信じさせることこそが、彼らを悪魔の信仰から引き離し、真の神の信仰へと引き入れる聖なる行為である、ということになるわけです。

 

 あとは啓蒙思想の影響もあります。啓蒙とは蒙昧を啓く(ひらく)、すなわち無知なひとびとに教えてあげようという思想です。

 

 この場合は、遅れた原始的な文化をもつ植民地の人々に、先進的な西洋文明をもつわれわれが、文明を授けてやろう、という考え方です。

 

 この考え方が背景にあるため、植民地の文化は遅れた野蛮な因習であり、さっさと破壊して、我々の持つ先進的な文明を広めるのが、植民地に住む土人たちを幸せにする道である、と考え、どんどん現地の文化や風習を破壊していくわけです。

 

植民地側の諦観

 このような白人たちの横暴を、当の植民地に住む人々はどのように考えていたのでしょうか。

 

 彼らの考え方を一言で表すと、あきらめをもって受け入れていた、と言えるでしょう。

 

 当時の西洋諸国は、産業革命を達成し、機械化された大量生産設備と、近代化された高性能の武器を所持していました。

 

 植民地諸国は、農業中心の手工業制で、蒸気船も高性能な銃や大砲もありません。

 

 武器の性能が違いすぎるので、戦って勝てる見込みはありません。

 

 何度も反乱を起こしますが、そのたび高性能な武器で武装した西洋の軍隊に鎮圧され、我々は西洋人には勝てない、と思い込んでしまっていました。

 

 また西洋人がもたらした文明は、確かに生活の利便性を上げていました。そこで西洋人が考える、植民地の文化は遅れた土人の文化で、西洋文明こそが進んだ優れた文化であるという考え方を多くの人が受け入れてしまっていました。

 

 あるものは、支配者である西洋人に取り入り、支配の片棒を担いで民衆から搾取し、おこぼれをもらい、多くの者は、西洋人は我々より優れた人種なんだ、我々は西洋人には勝てないんだ、とあきらめ、搾取されるがままとなっていたのです。

 

動物園のたとえ

  私はいくつかの著書で、この状況を動物園で例えています。

 

 広大な動物園(世界)で、ある日、突然すべての飼育員がいなくなってしまいました。動物たちはしばらく顔を見合わせていましたが、そのうち2匹の猛獣(スペイン、ポルトガル)が檻を破って逃げ出しました。

 

 猛獣は草食動物の檻に行き、檻を破って侵入し、中にいた草食動物(メキシコ、ペルー、ブラジル)を食べ始めます。

 

 それを見た他の猛獣(イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、ロシアなど)たちが次々に檻を破って逃げ出し、手近にあった草食動物の檻(アフリカ、アジア、南北アメリカ諸国)に侵入し、食べ始めます。

 

 猛獣たちは自分たちが破った檻を自分の縄張りであると宣言し、囲い込んで、中の草食動物たちを自分の餌として確保していきます(植民地の分割)。

 

 草食動物の檻は次々と肉食動物に占領されていき、残った檻はあと2つ(タイ、日本)。そのうちの一つ(日本)を、ついに一匹の猛獣(アメリカ)が破ろうとしている。

 

 これが19世紀半ばにおける世界の状況です。

 

 しかしこの最後の草食動物は、猛獣たちが予期しないあっと驚く行動を行います。

 

 彼は、もともと持っていた角に加えて、肉食動物ったちが持つ牙や爪を新たに身に着け、襲い掛かる猛獣たちと戦うことを決意したのです。