アメリカ大陸の形状変化
マッドフラッド後の真の歴史についての考察を続けていきましょう。次はアメリカです。
アメリカ大陸、特に北米大陸に関する最大の謎は、時がたつにつれて、その形状が大きく変化しているということです。
これは1570年にオルテリウスが書いた世界地図です。アジアやヨーロッパ、アフリカに関しては今とあまり変わらないようですが、南北アメリカ大陸の形は今と大きく異なっていますね。
ことに北米大陸は今よりずっと大きく、北部に大きく広がっているようです。
こちらは1642年に作られた地図ですが、やはり北米大陸は北部に大きく広がっており、北極をも包含する巨大大陸となっています。
北米大陸だけを拡大してみましょう。1630年の地図でも、北部が大きく広がり、海岸線もしっかり書き込まれています。
こちらは1642年の地図です。今の北米大陸の北側に、もう一つ大きな大陸がついているような感じですね。
しかし、この後、20年で北米大陸の地図の形は一変します。
こちらは1664年の地図です。北米大陸の北西部分が空白になっています。
1700年の地図です。北に大きく広がってはいますが、北西部分がやはり空白です。まるでこの部分には人が立ち入ることができないかのようです。
1762年の地図です。空白だった北西部分は書き込まれていますが、謎の巨大な湖が出現しています。北部への広がりが小さくなり、大陸が縮小化したかのようです。
1762年の別の地図です。やはり北部が縮小し、謎の湖が出現しています。
10年たって、1772年になると、北西部にあった湖がだいぶ小さくなっているのがわかります。
1815年の地図です。現在とほぼ変わらない地形になっています。
また、現在のカナダ北部には、シベリアで見たような円形の湖が多数存在しています。
こちらは、カナダ、ブリティッシュコロンビア州にある、スポテッドレイクと呼ばれる湖です。
これは全体で一つの大きな湖ですが、夏場になると水位が下がり、湖底にある無数の丸い池が浮かび上がってきます。
シベリアにあるたくさんの丸い湖にそっくりですね。
カナダ北部の地形は、多数の島々からなっています。まるで多数の円形のクレーターが、そのまま水没したかのようです。
カナダの森林も、シベリアと同じように、すべて樹齢200年以下の木からできています。
北西部の森林に至っては、樹齢100年以下の木しかないそうです。
カナダも核攻撃の標的だった!?
う~ん、あやしいですね。
どうやら、北アメリカ大陸は、もともと現在の2倍以上の面積があり、北部に大きく張り出していたようです。
おそらくシベリアとは陸続きだったのではないでしょうか。ひょっとしたら、北極をも含む巨大な北極大陸であった可能性があります。
タルタリアの人々は、陸続きの北米大陸北部をつたって、南北アメリカ大陸に移住し、そこで巨大な帝国を作っていたのでしょう。
しかし、1816年の大規模核戦争の際、シベリア同様、北米大陸北部がその標的となり、完全に地形が変わってしまったと考えられます。
地図の年号は、実際の年号よりも100年~200年早い時期のものに書き換えられたと考えるべきです。
考えられるストーリーは大体以下のようなものになるでしょう。
北米大陸北部は、1816年に大規模核攻撃を受け、北部はマッドフラッドによってそのまま海中に没しました。
攻撃のひどかったカナダ北西部は、50年ぐらい人が立ち入ることができず、地図上の空白地帯となりました。
放射線が低下して人が入れるようになると、マッドフラッドから50年以上たっているにもかかわらず、カナダ北西部内陸地帯から水が引かず、巨大な湖が出現していました。
巨大な湖はそれから10年以上かけて、次第に縮小し、20世紀初頭には、北米大陸の地形変動が落ち着き、現在と変わらない海岸線になりました。
と考えると、だいたいつじつまが合います。
泥に埋まった無人の町
アメリカでは、核戦争後に発生したマッドフラッドに関しても、他地域と比べて激烈なものとなっています。
これはアメリカ合衆国西海岸の最北部にある、シアトルの街の様子です。この町の標高は、42mです。
高層ビルの6~7階の部分まで、泥に埋まっているのが見えます。泥の高さは10メートル以上に達するかもしれません。
とりあえず、タルタリア時代に動いていた列車を掘り出し、蒸気機関車で取り除いた土砂を港へ運んでいるのが見えます。
こちらはアメリカ中部のカンザスシティです。この町の標高は269mあります。
しかし建物の2階部分まで丸々埋まってしまう土砂があるのがわかります。土砂の高さは7~10mほどでしょうか。
建物の1階部分の半分だけが土砂に埋まったヨーロッパとは、災害のレベルが違うのがお分かりになると思います。
アメリカのど真ん中にある、標高269mの街を7~10mの土砂で埋めてしまう災害とは、いったいどういったものなのでしょうか。
おそらくアメリカ全土が、いったん海の底に沈んでしまうレベルの大洪水が襲ったのではないかと思われます。
洪水が引いた時、アメリカ全土が完全に土砂に埋め尽くされ、そこに住んでいる住人は、ほぼ全員が死亡したのではないでしょうか。
こう考えてみると、アメリカ大陸こそが、DSローマの主要攻撃目標であったことがよくわかります。
おそらくタルタリア帝国の首都、または中心地は、シベリアではなく、今は水没している北アメリカ大陸の北部地域にあったのではないでしょうか。
ヨーロッパの孤児政策
というわけで、マッドフラッドののち、北アメリカ大陸に住む住民たちはほぼ全員が死亡し、カナダの北部は海中に没してしまったと思われます。
北アメリカのタルタリア地域には、モンゴロイド系の黄色人種が住んでおり、今に残るネイティブアメリカンたちは、この大災害を生き残った、わずかな人々であると考えられます。
そして洪水が引いた後の北アメリカ大陸は、土砂に埋まった、完全に無人の町が多数残される状態になっていたようです。
この状態の無人の大陸の東岸に、ヨーロッパから、DSローマの人々が上陸し、大規模な移民をしていきました。
先遣隊として少数の大人たちが、町の掘り出しを担当し、泥の下から無人の都市が次々と姿を現していきました。
そしてそれらの街に移民した人々は、ほとんどがヨーロッパから来た孤児たちでした。
当時のヨーロッパには、多数の孤児院が建設されていました。
これはロンドンにあった孤児院です。ここだけで4500人の孤児たちを収容することができました。イギリス全土では、実に64の孤児院があったそうです。
単純計算で、28万人もの孤児たちが、孤児院に収容されていたわけです。
そのほかにも、ニューヨークでは数千人収容の孤児院が4つあり、モスクワでは毎年18000人、イタリアでは32000人、スペイン、ポルトガルでは15000人の孤児たちが、新たに孤児院に収容されていました。
ヨーロッパでこの時期、このような大量の孤児たちが発生していた原因は、各国政府による、母親と子供を切り離す政策にありました。
当時のヨーロッパでは、マッドフラッド後の経済崩壊によって、結婚が成立しなくなっており、大量の未婚の母たちが出現していました。
各国政府は、このような、未婚の母から生まれた子供たちを、非嫡出子として排除する政策をとりました。
1833年、イギリスでは、非嫡出子を排除する法律が制定され、非嫡出子をかかえる未婚の母が、どこからも雇ってもらえないようになりました。
未婚の母たちは、泣く泣く孤児院に子供を引き渡し、孤児院は空前の賑わいを見せることとなったのです。
孤児院は、困っている子供を助けるなんて言っていますが、実際には未婚の母たちから、子供をお金で買い取り、それを格安の労働力として、工場や農園、作業場などに販売していたのです。
孤児たちが作ったアメリカ
これらの孤児たちが最終的に行き着いた場所は、無人のアメリカ大陸でした。
これはアメリカにおける孤児列車です。ヨーロッパから船で東海岸の港に運ばれた孤児たちは、この孤児列車に乗せられて、アメリカ各地の街に運ばれて行きました。
町に着くと孤児たちは、オークションにかけられ、競り落とされて、それぞれの街の工場や農園で働かされました。
当時のアメリカの工場では、子供たちが、大人が扱う大きな機械を操作している写真がいっぱい残っています。
アメリカでは大人たちの数が絶対的に不足しており、工場や農園で主に働いていたのは、ヨーロッパで母親から引き離され、船で運ばれて売り飛ばされた、孤児たちだったのです。
当時のヨーロッパ、およびアメリカにおける文学作品では、たくさんの孤児たちが登場します。
トム・ソーヤ(マーク・トウェイン)や赤毛のアン(モントゴメリー)はもちろん、
『大いなる遺産』『嵐が丘』『レ・ミゼラブル』『ハイジ』の主人公も孤児ですし、ディスニーのピーターパンや、ラプンツェルなんかも孤児です。
当時は孤児たちが困難を乗り越えて幸せになる物語が、売れていたのです。
これは裏を返せば、当時の現実世界では、孤児たちは悲惨な運命をたどり、救いのない状況だったことを意味します。せめて物語の中だけでも、幸せをつかもう、ということだったのではないでしょうか。
アメリカ合衆国の真の歴史は、ヨーロッパから売られてきた孤児たちが、東海岸から順に無人の街を占領し、フロンティアを西へと押し広げていった歴史である、ということができるでしょう。
子供たちの製造!?
さて、あらためて考えてみると、これらの大量の孤児たちと、未婚の母たちの数があいません。
ヨーロッパ全土で毎年数100万人単位の孤児たちが発生していましたが、果たして未婚の母たちはこんなにいっぱいいたのでしょうか?
これは当時の遊園地のアトラクションにあった、インファント・インキュベーターという施設です。
中に入ると、保育器の中にいる赤ちゃんが展示されており、看護婦さんたちが世話をしています。
これらの施設で展示されている未熟児たちは、合計で8万人にも上っていたそうです。こんな多くの未熟児たちが一体どこから来たのでしょうか。彼らの母親はいったいどこにいるのでしょうか。
彼らの成長後の姿です。なんと、全員同じ顔をしています。
当時の兵士たちの集合写真です。まったく同じ顔の人物が何人もいるのがわかります。
こちらは1737年に書かれたとされる、ペテルブルグの都市計画図の一部です。瓶に入った赤ちゃんが描かれています。
どうやら、この当時存在していた大量の孤児たちのかなりの部分は、実の母親から生まれた子供ではないようです。
当時の町の地下には、縦横に走る地下道やカタコンペが張り巡らされており、ここにクローン製造機やレプリケーターが設置されていたようです。
これらの施設では、多数のクローンや、レプリケーターでプリントアウトされた赤ちゃんが製造されていました。
ある一定のひな型の赤ちゃんを大量に製造したので、顔が同一の人物が大量に発生したということのようです。
これらの赤ちゃんは成長して子供を作り、マッドフラッドで減少した人口は速やかに元に戻っていきました。
このような人工的に製造された赤ちゃんたちの子孫が、現在ネットで話題のバイオロボや、bot である、ということができるのではないでしょうか。