笹原シュン☆これ今、旬!!

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NESARA/GESARA 6  J・F・ケネディ大統領暗殺によって第1回 NESARA 導入の試みは阻止された!? ケネディの遺志は次世代へとつながる。

J・F・ケネディの戦い

 FRB 創設後、ディープステートたちは堂々とアメリカの通貨発行益を懐に入れ、どんどん勢力を伸ばしていきました。

 

 その後、彼らに対して最初に異議を唱え、通貨発行益を取り戻そうとした人物は、第35代アメリカ合衆国大統領、JFK こと、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディです。

 

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 このころディープステートの勢力は全米にくまなく張り巡らされ、政財界、芸能界、メディアを牛耳っていました。

 

 しかし彼らの陰謀を見抜き、それに対抗しようとしていた勢力、現在のQanon の前身となる勢力もすでに出来上がっていました。

 

 この時点で彼らの名称はまだありませんが、不便なので、便宜上ホワイトハット(よい人たち)と呼称させていただきます。

 

 ケネディは若くしてディープステートの策略に気づき、ホワイトハットの支援を受けて大統領選に立候補したようです。

 

 1960年、ケネディは、ディープステートの一員であるニクソン候補を僅差で破り、大統領選を制しました。

 

 ケネディは、大統領就任直後から、精力的にアメリカ国民のための政策を打ち出していきます。

 

  ケネディ大統領は、失業保険の13週間延長、失業者への補助金、年金の増額、最低賃金の引き上げ、スラム再開発のための政府融資の実施などの政策を立て続けに打ち出し、庶民の生活レベルの向上に努めました。

 

 さらに政府支出や公共投資を前倒しし、景気浮揚に勤めました。

 

 ケネディ大統領の、それまでの大統領とは異なる最大の特徴は、ディープステートたちの存在と彼らによる富の独占、マスコミの支配について、公然と指摘し、国民に一丸となって彼らと戦うことを求めたことです。

 

 彼の演説の一部を引用してみます。

 

「我々は今、危機的状況にある。安全保障の強化を訴える声明は、その意味を拡大解釈し、当局による監視体制と隠蔽工作を守ろうとしている人たちによって悪用されている。そのような拡大解釈は、私の統制下においては許可しない。
私の政権下では、高い地位であろうとなかろうと、民間人であろうと、軍人であろうと、私の言葉を理解する必要がある。
ニュースを検閲する口実として、政府に反対する人たちの意見を鎮圧し、政府の過ちを全て隠蔽し、報道陣や米国民に、知る権利のある事実を隠している。
我々は世界的な冷酷で強硬な陰謀に対抗している。」

 

 さらに彼は続けます。 

 

「彼らが計画していることは絶対に公表されない。
彼らは自分たちの過ちは隠蔽し、決して記事のヘッドラインに書かせない。
彼らのやり方に反対する人々は賞賛されるのではなく、沈黙させられ、彼らは国庫から巨額の資金を使っても何も問われない。
彼らの噂さえ記事にすることはできない状態である。
彼らの秘密は一切公開されない。」

 

 などという形で、公然と、アメリカの政治・経済を牛耳っている少数の富裕層であるディープステートと、彼らの手先として働いているマスコミを非難し、国民に彼らとの対決を求めています。

 

 そのスローガンは、

 

「Where we go one, we go all. (われら一丸となって、ともに進まん)」でした。

このフレーズは、頭文字をとって、「WWG1WGA」という形で使われました。

 

 この「WWG1WGA」という標語は、現在、Qアノンの活動におけるキャッチフレーズとして使われています。

 

通貨発行権奪還の試み

 そしてケネディ大統領は、1963年6月4日に大統領令11110号 (Executive Order 11110) を発令し、政府紙幣の発行に踏み切り、通貨発行権の奪還を図ります。

 

 これはそれまで何回か発行された一時しのぎの政府紙幣と異なり、以後すべての紙幣をFRB を迂回して財務省が直接発行するという、徹底的なものでした。

 

 これが実現すれば、通貨発行権は完全に国家の手に戻り、ディープステートには一銭も入らなくなるという激しい改革です。

 

 ディープステートたちは頑強な抵抗を見せますが、このときのケネディ大統領とそれを支援するホワイトハットたちもかなり強力で、ついに政府紙幣は印刷され、どんどん発行されていきました。

 

 この後ケネディ大統領は、手に入れた通貨発行益を使って、国民の債務を免除し、所得税を廃止し・・・といった形で、ディープステートたちの資産を奪還し、それを国民に分配する、後のNESARA の原型となる政策を実行する予定だったようです。

 

 しかしこのタイミングで、ディープステートたちは、歴代の大統領たちにしたのと同じように、ケネディ大統領に対して、最後の手段を発動します。

 

ケネディ大統領暗殺の真相

 

 J・F・ケネディ大統領は、1963年11月22日、テキサス州ダラスで遊説中、パレードの最中に、2発の銃弾を撃ち込まれて、暗殺されました。

 

 当時はこの暗殺の犯人も、動機も不明とされ、20世紀最大の謎、などと言われたりしていました。

 

 しかしそれは、当時はまだ、ビデオデッキなどの映像記録再生装置がなかったからで、現在のように多数の映像記録再生装置がある時代では、当時の映像を見るだけで真犯人がわかっていしまいます。

 

 以前は当時のモノクロのニュース映像が出回っており、見るだけですぐに犯人が分かったのですが、ディープステートもさすがにやばいと思ったのか、すべてネット上から消去されていました。

 

 というわけで、当時の画像のパノラマ復元映像をご覧ください。

 

www.youtube.com

 

 ケネディ大統領は、後部座席手前に座っています。画像の上に数字が出ていますね。

 

 まずは250近辺をご覧ください。大統領の隣に座っている妻のジャクリーン夫人が、右手を伸ばして、大統領の首に銃弾を撃ち込んでいます。この時に使われた銃はこの銃です。小型で手のひらに乗る大きさですね。

 

 

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 大統領がジャクリーン夫人のほうに倒れこむと、夫人は大統領を起こしてまっすぐな姿勢を取らせます。

 

 そこで、316 あたりを見てください。運転手が振り返り、大型の銃を発射。大統領の頭部を吹き飛ばしています。

 

 その後、有名なジャクリーン夫人がボンネットに上がるシーンがあります。

 

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 これは夫人が大統領の飛び散った脳みそをかき集めていたといわれていますが、映像をよく見てください。380 あたりです。

 

 ジャクリーン夫人は、ボンネットにある小型の銃を回収していますね。何のことはない、自分が夫を撃った銃がボンネットに落ちてしまい、慌てて回収していた、というわけです。

 

 というわけで、ケネディ大統領暗殺の真犯人は、ジャクリーン夫人と運転手です。

 

 ケネディ大統領の最大の敗因は、自分の最も身近にいる妻が、敵の一味であったことを見抜けなかったことだ、と言えるでしょう。

 

 アメリカにおける最初のNESARA 導入の試みは、ケネディ大統領暗殺によって、潰え去ってしまったのです。

 

JFKの遺志を継ぐもの

  J・Fケネディ大統領は暗殺されてしまいましたが、ホワイトハットたちは引き続き、打倒ディープステートの活動を続け、新たな指導者を模索していました。

 

 そして白羽の矢が立てられたのは、JFK の長男のJFKjr. でした。

 

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JFKとJFKjr.

 上の写真で、ケネディ大統領の執務室の机の下に隠れている少年ですね。

 

 ちなみに JFKjr. というのは、JFKの息子という意味の通称ではなくて、本名の省略形です。

 

 お父さんはジョン・フィッツジェラルド・ケネディですが、彼は息子に自分と同じジョンという名前をつけたのです。つまり息子も父親と同じ、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディという名前です。

 

 これでは家族でも区別できないので、息子のほうはジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアという名になっているわけです。息子は子供のころはジョンジョンと呼ばれていました。パパがジョンで、息子がジョンジョンですね。

 

 JFKjr. が10代のころ、ホワイトハットの人々が彼のところにやってきて、こう言ったそうです。

 

 「あなたが大統領になるまで、われわれが面倒を見る。だからお父さんの遺志を継いで大統領としてディープステートと戦ってくれ」

 

 当然引き受けると思いきや、彼は答えを渋ります。そして彼は、このことを彼の一番の友人に相談します。

 

 その友人とは、ドナルド・ジョン・トランプです。

 

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 JFKjr. とトランプは、お父さん同士が友人で、幼稚園のころからよく一緒に遊んでいたそうです。2人とも名前にジョンが入っていますね。

 

 JFKjr. はトランプに対して言いました。

「彼らは僕に大統領になれという。だけど僕は戦いは好きじゃない。僕は強い人であるよりも、善い人でありたいんだ。」

 

 それを聞いたトランプはこう答えました。

「それじゃあ、その仕事は俺が引き受けよう。俺はまず大富豪になって、その後、アメリカ合衆国大統領になる。やつらの始末は俺がやるから、おまえは、彼らがいなくなった後のアメリカを善い国にしていってくれ。」

 

 この後、JFKjr. はしだいに身を引いていき、1999年7月16日、38歳のときに、飛行機事故で死んだことにして、完全に表舞台から姿を隠します(もちろんまだ生きています)。

 

 トランプは不動産業に進出し、大富豪への道を着々と歩んでいきます。

 

 そして50年の歳月が流れ、2人の誓いが現実となる日がやってくるのです。