笹原シュン☆これ今、旬!!

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北朝鮮の真実11 北朝鮮と中国の腐れ縁は金正恩が断ち切った!? 二転三転する北中関係の謎。

金正恩の行った大粛清

 2011年12月17日、金正日が死去し、2日後の12月19日に、国営の朝鮮中央放送によって、金正日の訃報とともに、金正恩が、後継の北朝鮮指導者であることが内外に示されました。

 

 翌2012年1月28日、金正恩は、社会主義企業責任管理制や圃田担当責任制などの、資本主義化政策を実施します。

 

 同時に金正恩は、2012年から13年にかけて、軍上層部及び与党朝鮮労働党上層部の大量粛清を実行します。

 

 2013年8月には、「銀河水管弦楽団」の音楽家など9人を、ポルノ映像制作の容疑で公開処刑しました。

 

 同年12月には、叔父で金正日の腹心だった、張成沢を処刑します。

 

 その後、粛清は党幹部と政府高官に及び、結局2015年までに70人余りの国家上層部の人々が粛清されることになりました。

 

 2017年2月13日に、マレーシアの首都、クアラルンプールのホテルで、兄である金正男を毒殺し、粛清は完了します。

 

中国と結びついた勢力

 この時粛清の対象となったのは、中国と結びつき、北朝鮮内部に潜り込んでいたディープステートたちです。

 

 音楽家のポルノ映像制作の件では、北朝鮮の女優が出演していたとして報道されましたが、これはようするに、ディープステートたちがやっていた、児童性愛映像を押さえたということです。

 

 彼らは北朝鮮でも、同じようなことをやっていたわけです。

 

 建国から60年余り経過する間に、北朝鮮国内にも、ディープステートが入り込んでいたのです。彼らは、中国経由で国内に入り込んでいました。そしていつものやり方で北朝鮮の高官たちを篭絡し、北朝鮮国内で、ある程度の勢力を持つに至ったわけです。

 

 この背景には、北朝鮮が、この時に至るまで中国との関係を切ることができなかったという事情があります。それはどうしてか、少し時間をさかのぼって見てみましょう。

 

中国共産党を援助した大日本帝国陸軍

 大東亜戦争の開戦に先立ち、1937年から、日本と中国の間で日中戦争が行われていました。戦っていたのは、関東軍、すなわち大日本帝国陸軍中国方面部隊と、蒋介石を指導者とする中華民国の国民党軍です。

 

 このとき中国国内には、毛沢東を指導者とする中国共産党軍がいました。蒋介石はこの共産党軍を主な敵とみなし、日本軍よりも共産党軍と優先して戦っていました。

 

 日本陸軍は、これを見て、蒋介石の国民党軍の力をそぐために、毛沢東の共産党軍に、武器・弾薬や資金や食料を援助しました。

 

 陸軍の思惑通り、共産党軍は成長し、蒋介石軍を苦しめたのですが、決着がつく前に、1945年、本国日本が降伏してしまいます。

 

なぜ共産党は国共内戦に勝利できたのか

 日本軍が撤退した後の中国で、1946年から、蒋介石の国民党と、毛沢東の共産党による内戦、いわゆる国共内戦が勃発します。

 

 普通に考えれば、日本軍と戦った、中国の正規軍である国民党軍が、非正規軍の共産党軍を圧倒しても不思議ではありません。

 

 しかし、世界中の予想を裏切り、毛沢東の共産党軍は、国民党軍に勝利し、蒋介石は台湾に逃亡、1949年、毛沢東によって、中華人民共和国が建国されます。

 

 なぜ、非正規のゲリラ軍である共産党軍は、正規軍である国民党軍に勝利を収めることができたのでしょうか。

 

 その理由は、二次大戦後に、東南アジア諸国が、宗主国相手の独立戦争に勝利し、ベトナム戦争で、北ベトナムのベトコンが、アメリカ軍に勝利した理由と同じです。

 

 中国国内に残る、残地諜者と、大日本帝国陸軍の残党が、共産党軍に紛れ込み、共産党軍に戦術を指南し、ともに戦ったからです。

 

 旧陸軍の残党たちにとって、国共内戦は、まさに日中戦争の第2ラウンドとでも呼ぶべき戦いでした。

 

 8年間にわたって戦い抜き、ついに決着がつかなかった、蒋介石の国民党との戦いは、ここにおいて決着を見た、というわけです。

 

北朝鮮と中国の蜜月時代

 というわけで、1950年の時点で、残地諜者が建国した国は、世界に2国あったわけです。

 

 金日成を指導者とする北朝鮮と、毛沢東を指導者とする中華人民共和国です。

 

 この時代、この2国は、同じ建国思想を共有し、とても仲が良く、いいパートナーシップを築いていました。

 

 北朝鮮はディープステート支配下の西欧諸国からにらまれ、経済封鎖を受けており、中華人民共和国も、初期のころは資本主義諸国と絶縁状態で、同じ社会主義国のソ連とも、国交がなかったので、この2国の間で貿易を行い、ともに経済的利益を得ていたわけです。

 

 朝鮮戦争の時も、金日成と毛沢東は互いに面識がなかったにもかかわらず、北朝鮮があっさり中国の援軍を受けることができた背景には、お互いの指導者の背後に控える、日本軍の残地諜者の働きかけがあったのです。

 

毛沢東の暴走と中国の闇落ち

 しかし中華人民共和国の指導者、毛沢東がかなりの曲者でした。

 

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毛沢東

 彼はもちろん、中華人民共和国の建国に、日本軍の残党たちが果たした役割を熟知していました。実際に、何度も、建国に際する日本軍の貢献に感謝する発言をしています。

 

 しかし、残地諜者たちに担ぎ出されて指導者となった金日成と異なり、毛沢東は、日本軍による援助が始まる前から、中国共産党の指導者でした。

 

 また、残地諜者の政策によって、中国国内における毛沢東の神格化が行われ、疑似天皇制に近いシステムが構築されるにつれて、毛沢東の力はどんどん高まっていきました。 

 

 毛沢東は、自らの政策に口出ししてくる残地諜者たちを、疎ましく思うようになり、中国国内に残った残地諜者たちは、次々と毛沢東によって粛清されていきます。

 

 その後、毛沢東が、大躍進政策と文化大革命の失敗によって、失脚し、死後、4人組が粛清されると、中華人民共和国の実権は、ディープステートの手下である、鄧小平へと移っていきます。

 

 この時点で、毛沢東の粛清と、革命の動乱の中で、中国に残る残地諜者たちは殲滅されてしまっていました。

 

 鄧小平は、一人っ子政策を実施し、2人目以降の子供たちを売り飛ばし、武漢にアドレノクロム精製施設を建設して、外貨を稼ぎ、中国は経済成長を遂げていきます。

 

 結局、中華人民共和国は闇に落ち、中国共産党はディープステートの巣窟となってしまったわけです。

 

 この辺について詳しくは、当ブログ

 

shunsasahara.com

 

 の記事をご参照ください。

 

北朝鮮と中国との腐れ縁

 中国がこのような状態になってしまった後でも、北朝鮮は中国との縁を切ることができませんでした。

 

 この時代の北朝鮮は、頼みの綱の本国日本との補給路を断たれ、資本主義国からも社会主義国からも経済封鎖を受けて、事実上の鎖国状態でした。

 

 最後の頼みは、隣国中国との貿易であり、中国がディープステート支配下に落ちた後であっても、中国との経済的関係を切ることはできなかったわけです。

 

 この時代に、北朝鮮国内に大量のディープステートが侵入し、北朝鮮国内は、従来からの親日派と、新たに形成された親中派との間で主導権争いが行われるようになります。

 

武器輸出による経済発展

 このような北朝鮮国内の閉塞状態を打開したのは、皮肉なことに、前記事でのべた、1990年代から始まった、北朝鮮のミサイル発射でした。

 

 度重なるミサイルの発射と、その打ち上げの成功によって、北朝鮮製の武器が、世界中の闇市場で高い評価を受けるようになります。

 

 北朝鮮は、パキスタンや、イラン、インドなどの核保有国に、核弾頭とミサイルを輸出できるようになりました。

 

 この武器輸出による莫大な外貨収入によって、北朝鮮は経済的な飛躍を遂げることになります。

 

現在の北朝鮮

 マスコミによる報道と異なり、現在北朝鮮国内は、かなりの発展を見せています。

 

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これが平壌の街並みです。かなり高いビルが立ち並んでいますね。

 

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 遠景はこんな感じです。真ん中の三角形の建物は、平壌の中央にそびえる柳京ホテルです。

 

 国全体としては、大体日本の70年代後半から80年代前半の街並みのイメージです。平壌の中心部については、未来都市の景観を呈している場所がいくつもあります。

 

 武器輸出による安定的な外貨収入を確保することによって、金正恩は、中国との腐れ縁を断ち切り、国内の中国寄りの一派及び、国内に潜り込んだディープステートを、2015年の時点で、世界に先駆けて、一掃することができたわけです。

 

 日本国内において、北朝鮮と中国を同一視する見方が強いのは、ひとつには、2015年までの北朝鮮と中国の関係が影響しているといえます。

 

 70年代後半から2015年にかけて40年近くにわたって、北朝鮮はDS中国との関係を続けていましたので、それが人々の印象に根強く残っているというわけです。

 

 しかし現時点においては、北朝鮮と中国は、まったく独自かつ別の国家であると考えるべきでしょう。

 

 長年における世界各国からの経済封鎖に耐え抜き、ついに独自の発展に成功した北朝鮮は、なかなか骨のある国家であるということができると思います。