日本国内マスコミの暴走
79年10月28日、朴正熙が暗殺されました。韓国国内は一時混乱に見舞われましたが、その後、全斗喚が政権を掌握。再び軍事独裁制を敷きます。
前記事で取り上げた、朴正熙作の日本から金を搾り取るシステムは、あまりにも微妙なバランスの上に成立していたので、それを使いこなせるのは朴正熙ただ一人しかいませんでした。
本人も予期していなかった朴正熙の突然の死によって、このシステムはさっそく暴走を開始します。
そのきっかけとなったのは、次の独裁者となった全斗喚でもなく、韓国国内の世論でもなく、韓国のマスコミでもありません。
それは日本国内のマスコミの暴走によって始まったのです。
朝日新聞の捏造乱発
従軍慰安婦問題
1982年9月2日朝日新聞大阪版において「朝鮮の女性 私も連行」と題する記事が掲載されました。これがいわゆる従軍慰安婦問題に関する最初の報道です。
その後朝日新聞は、1983年11月10日の全国版の「ひと」というコラムで吉田清治氏を取り上げました。この方は『朝鮮人慰安婦と日本人』『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』を出版し、済州島における韓国人強制連行に吉田氏自身がかかわっていたこと、そして自分がどのようにして朝鮮人女性の連行を行ったのかについて、体験談の形で述べています。
朝日新聞はこの吉田氏の著書を合計16回にわたって紙面で紹介し、日本軍が朝鮮半島で女性狩りを行って、強制的に慰安婦として性奉仕をさせていたという印象を作り上げていきます。
これに韓国国内のマスコミ及び日本国内の他のマスコミが呼応し、両国間で、従軍慰安婦が大きく取り上げてられていき、一大国際問題となったわけです。
歴史教科書問題
1982年6月26日、各新聞の朝刊が一斉に、日本の検定教科書において戦前の日本軍が華北に「侵略」という記述が、文部省(現在の文部科学省)の検定によって華北に「進出」と書き改めさせられた、と報じました。
全新聞が足並みをそろえて報道するというのも随分怪しい話ですが、この各新聞はそろって「歴史改ざんキャンペーン」を行っていきます。
これをうけて、韓国でも7月21日の東亜日報で「日本は侵略を美化しようとしている」とする報道がなされ、韓国世論も動いていきます。
これ以降86年の第2次教科書問題、2001年の『新しい歴史教科書』問題など、再三にわたって、韓国は、我が国の歴史教科書の記述に文句をつけてくるようになるわけです。
靖国神社参拝問題
首相の靖国神社参拝がはじめて問題とされたのは、中曽根康弘首相の10回目の参拝にあたる、1985年8月15日です。このほぼ一週間前の8月7日、朝日新聞が首相の靖国神社参拝を非難する記事を掲載しました。
中曽根首相は予定通り靖国神社を参拝しましたが、この後、各新聞社は中曽根首相の参拝を非難する記事を書き、テレビ局は番組を流し、中国政府、韓国政府が相次いで非難を声明し、大問題に発展していくというわけです。
これらの問題に共通の特徴
とりあえず3つの問題を上げましたが、これらの問題はすべて、朝日新聞をはじめとする日本のマスコミが問題とする前には、日韓両国で誰も、そもそもそれが問題であることを認識していませんでした。
吉田清治なんて人は誰も知りませんでしたし、中学校の歴史教科書なんて、定期テスト直前の日本の中学生以外は読んでいません。
靖国神社参拝なんて、それ以前の首相は毎年行っていましたし、中曽根首相もそれまで9年連続で8月15日に靖国神社に参拝していました。それらの参拝については一切何も言わなかったのに、10回目の参拝でいきなり文句をつけてくるのは不自然すぎます。
さらには、これらはすべて、儒教徒にとってのみ問題となることであるという共通点があります。
靖国神社参拝は幕末以降の戦没者を慰霊するために行われる行為です。戦没者の慰霊なんてどこの国でもやっていますね。
しかし儒教においては、罪人は墓に埋葬してはいけません。生前に誤ったことをした人は、墓を暴かれ、死体に唾を吐いて野ざらしにしなければなりません。
儒教徒である韓国人や中国人から見ると、第2次大戦で時刻を蹂躙した犯罪者が神社に祭られて慰霊されるのは許せない、墓を暴いて踏みつけ、唾を吐きかけるべきだ、ということです。
日本人の感覚では、なぜ靖国神社を参拝してはいけないのかは理解できません。日本では、どんな重罪人でも死ねばみんな神仏となるのですから。
従軍慰安婦問題も儒教ならではの問題です。韓国は日本よりも上位である。上位であるためには、2次大戦で日本が韓国にひどいことをしていなければならない。きっとひどいことをしていたはずだ。ひどいことをしていた。韓国人女性を性奴隷にしていたのだ!
という感じの儒教徒特有の脳内変換が行われ、これに基づいて記事が捏造されたというわけです。
歴史教科書問題も同じですね。歴史的事実がどうであったかは問題ではなく、儒教徒特有の歴史改ざんの結果と教科書の記述が一致していない、と言って文句をつけてきているわけです。
つまりこれらはみな、「日本にいる儒教徒」しか気づくことのできない問題であったといえます。
これらの事実はいったい何を意味しているのでしょうか?
日本マスコミは、中国人・韓国人に占拠されていた
考えられることはただ一つです。
中国・韓国は、50年代からすでに日本国内での工作活動を進めてきました。80年代に至って、これが功を奏し、ついに日本国内のマスコミの上層部の過半数が儒教徒となったのです。
これは在日もしくは国外から来た中国人および韓国人によって、日本のマスコミが占拠されていたことを意味しています。
さらに悪いことに、この時代のマスコミは圧倒的な影響力を持ち、その力は日本政府の力を超えてしまっていました。
当時はまだインターネットもスマホも携帯電話もこの世に存在していません。情報源は新聞・テレビ・ラジオだけです。
民衆はマスコミが一方的に報道する情報を受け取るだけで、それに反論することもできなければ、報道内容が正しいかどうかを検証することもできません。
この状況で新聞およびテレビは今では考えられないほどの影響力を誇っていました。ロッキード事件に関与したとされて田中角栄元首相が逮捕され、リクルート事件に絡んでいたとされて竹下登首相が退陣しました。
2人はともに、問題となった事件に関与した決定的な証拠が挙がっていません。それでもマスコミが、「関与した」といえば、関与したことになってしまい、それで国家指導者を葬り去ることができてしまっていたのです。
マスコミ主導の謝罪と賠償システムの完成
結果として、1980年代の日韓関係は以下のような形になりました。
①マスコミ上層部にいる儒教徒が、儒教徒が聞いたら怒るであろう問題をでっちあげる。
②マスコミの報道によって、その問題を既成事実化し、日本政府を非難する。
③日本国内の報道を見て、韓国国内のマスコミが呼応し、韓国世論が沸騰する。
④マスコミの圧力で、日本の政治家が、韓国政府に指摘される前に自主的に謝罪を行う。
⑤日本の提案で日韓首脳会談が行われ、その席で改めて謝罪を行い、賠償を約束する。
というパターンです。
韓国側から見たらとても楽なシステムですね。黙っていても日本のマスコミが勝手に問題を発見して世論を沸騰させてくれ、黙っていても日本が勝手に謝罪をして、日本の政治家が頼んでいないのにやってきて、賠償を約束し、お金を置いて行ってくれるのですから。
この日本と韓国の間のマスコミ主導の、ゆがんだ外交システムはおよそ10年続きます。
その後このシステムはさらにもう一段の暴走を開始します。
そのきっかけは、87~88年にかけて実現した、韓国の民主化でした。