作戦の全面的変更
東京地下要塞攻略に際して、第1次作戦の失敗を踏まえ、根本的な作戦の練り直しが行われました。
第2次侵攻作戦は、前回とは全く異なる発想のもとに、作戦が立案されました。
まぁ、ようするに、いきなり東京地下要塞本体を攻撃しようとしたのが間違いのもとだったわけです。もう一度、東京地下要塞の地図をご覧ください。
確かに東京地下要塞本体は鉄壁の(オリハルコン壁の?)守備を誇っていますが、その周辺にある高尾や横浜の地下要塞は通常通りの防壁です。
そしてこれらの要塞はすべて地下道で東京地下要塞につながっています。
つまり先に周辺の要塞を落とし、地下道を伝って、内部から東京地下要塞に突入すればいいわけです。
福島の第二要塞は、東京と同じくオリハルコン防壁を備えていますので、直接攻撃は無理です。しかし東京を落とした後ならば、やはり地下道を通って、内部から突入、破壊が可能なわけです。
第2次侵攻作戦開始!
東京地下要塞、第2次侵攻作戦は、2020年9月9日に始まりました。
いつものように、攻撃対象上空にアメリカ軍電子戦機が集結し、電磁パルス攻撃が行われます。それに伴い、多数の落雷が発生し、停電が起こります。
攻撃が、正確に東京都心を外し、周辺地域、特に東京の西側と南側に集中しているのがわかりますね。都心に攻撃しても意味ないということでしょう。
攻撃部隊の突入は、翌9月10日に行われました。対象は横浜、高尾の各要塞と、相模原にあった、要塞とは言えない小規模な地下基地、および軽井沢につながる地下道です。
これは横浜基地攻略時のフライトレーダーの画像です。
8月には東京都心上空を飛び回っていたヘリや航空機が、東京には目もくれず、横浜上空に集結しているのがわかります。
地下道の激戦
東京周辺の基地はあっさり陥落し、子供たちは救出され、関越地下道の侵入にも成功したのですが・・・本当に大変なのはこれからでした。
東京地下要塞につながる地下道は、数100メートルおきに隔壁で仕切られ、隔壁に取り付けられた兵器による銃撃と、戦闘員による銃撃があります。
これまで無抵抗の基地に突入することを繰り返していた攻撃部隊は、ここで始めて本格的な戦闘を行うことになりました。
これに勝利し、制圧したとしても、行く手には分厚い鋼鉄の隔壁が立ちはだかります。
しかも爆弾でこれを爆破することはできません。それをやったら地下道後と崩れてしまい、せっかく確保した東京地下要塞への経路が閉ざされてしまいます。
一枚一枚、ヘルファイアーで溶かし、さめるのを待って、隔壁の向こうからの敵戦闘員の射撃をかいくぐり、先に進まなければなりません。
しかも戦闘しながらですので、移動は全部徒歩です。
まぁ、時間がかかることかかること。
地下道をひと区画ごとに制圧しながら、東京23区内に到達したのは、実に一か月が経過した、10月10日前後のことでした。
攻撃隊はそこから都心の地下要塞に向けてゆっくり静かに、歩を進めていきます。
この間は、2020年始まって以来、首都圏においてまったく地震が発生しない1か月となりました。
東京地下要塞の最期
そして10月20日、ついに攻撃部隊は東京地下要塞につながる扉を突破します。オリハルコンの外壁を大きく迂回して、内側から要塞内部の侵入に成功したわけです。
要塞内部において、1週間余りの激闘が行われ、ついに10月28日、要塞の制圧に成功します。10月28日、午後3時58分、東京地下要塞は爆破され、内部から崩壊しました。
この爆破によって、マグニチュード4.4 の人工地震が発生しています。震度が3に抑えられたのは、オリハルコン防壁によって、爆破の威力が減殺されたものと思われます。
気象庁の発表では千葉県北西部が震源となっていますが、震度の分布をみれば、皇居の真下が震源であることはわかると思います。
波形と震源、深さの分析によって、ネット上で人工地震が判定され、流布されるようになったので、7月29日の人工地震空振り事件以降、気象庁は、震源及び深さをずらして発表するようになっています。
福島第二要塞へ
攻撃隊はそのまま地下道を通って北上し、福島第一原発地下に建設された東京第二地下要塞に向かいます。
こちらの地下道も前と同じく隔壁で分割され、守備隊が布陣していました。防御兵器はレーザー砲になっていたそうです。
こちらも戦闘しながら徒歩で移動し、隔壁を溶かしながらの前進ですので、遅々として進みません。
それに加えて、単純に距離が長い。東京福島間は新幹線ならあっという間ですが、徒歩で行くのはとてもとても大変です。
何とか2週間余りで、地下道を踏破し、第二要塞侵入に成功します。
ここでも一週間余りの激闘が行われ、11月22日午後7時05分、ついに東京第二要塞は爆破されました。
この時の爆破は、地下に大規模核兵器を設置して派手に行われました。半径15km以内の住民は原発事故の時点で、すでに全員避難し、誰もいませんので、これができたわけです。
この時の爆破によって、M5.7 最大震度5弱の地震が発生し、爆破の衝撃は青森県にまで到達しました。東京もかなり揺れましたね。
オリハルコンの防壁も、これならさすがに破壊できたと思われます。
気象庁は震源を茨城県沖として、少しずらして発表していますね。
ドラコニアンの脱出
ところで、第1次侵攻作戦の時に登場した、オリハルコン製の潜水艦はどうなったのでしょうか。
攻撃隊が東京地下要塞に突入した時、すでに潜水艦は姿を消していました。どうやら要塞にいたディープステートのトップたちは、あの潜水艦に乗って、脱出してしまったようです。
ここでいうディープステートのトップというのは、天皇家の人々のことではありません。
各国のディープステートは、人間たちのメンバーの上に、真のトップである異星人が控えています。
欧米においては、彼らは、レプティリアンとよばれる、トカゲ型の異星人です。
しかし日本や中国においては、ちょっと種族が異なっています。
日本や中国のディープステートのトップに君臨しているのは、ドラコニアンと呼ばれる、龍型の異星人です。
彼らは東京地下要塞にいたのですが、要塞陥落時には姿を消していました。
どうやらドラコニアンたちは、潜水艦で脱出して、紀伊半島方面に向かったようです。
上空における戦い
ドラコニアンたちは、紀伊半島の熊野にある地下水道に潜水艦で侵入し、そこから地下道を通って、高野山の地下5000メートルにある宇宙基地に到達しました。
ここは彼らが日本に来た時に最初に作られた基地で、ドラコニアンたちが地球に来た時に乗っていた母船があります。
ドラコニアンたちは、もはやこれまで、ということで、11月29日、宇宙船に乗って、地球を脱出しようとしたわけです。
大地の奥から、巨大な葉巻型の母船が、姿を現し、ゆっくりと上昇していきます。
しかし上空には、銀河連盟の宇宙艦隊が待ち構えていました。
ドラコニアンの母船に対しては、地球の武器では太刀打ちできないので、あらかじめ善良な宇宙人たちに、掃討を依頼していたわけです。
日本上空において、宇宙船同士の艦隊決戦がおこなわれ、ドラコニアンの母船は撃墜されました。
母船は夜空を明るく照らしながら燃え、ゆっくりと落下していきます。
この時の光は、関西地方の広域で目撃され、火球として報道されました。
最後に母船は空中で爆発し、夜空を明るく照らします。
日本を長年支配していたドラコニアンの断末魔の光は、マイナス6等星、満月と同程度の明るさだったということです。
ディープステート掃討作戦終了
翌11月30日は、関東地方全域にヘリや航空機が飛び交い、子供たちの救助や、生き残ったディープステートたちの護送が行われました。
12月1日には、あれだけ飛び交っていた航空機が、関東地方の上空から一機もいなくなります。
これは作戦の終了を意味します。
8月12日のTR-3B の東京上空電磁パルス攻撃(空振り)から実に3か月以上にわたる死闘の末、ディープステート最後の牙城、東京地下大要塞は陥落しました。
終わってみれば予定通り、11月末日をもって、日本におけるディープステート殲滅作戦は、終了を迎えることとなったのです。